・西原理恵子『毎日かあさん・背脂編』(毎日新聞社)より−
「私はいまだに0点は恥ずかしくてしかられる事なのがよくわからない」
ある意見がまちがっているかどうか確かめる簡単な方法は、
「みんながそう考えて行動するようになった時社会が崩壊するかどうか」思考実験してみることだ。
上記サイバラは、従って、
まちがっている。
そのような考え方する奴がいても世の中がびくともしないのは(実は、ビクぐらいはしてるというか、いやいや、大分蝕まれてると思うが...)、
圧倒的に多数の人間がそういう考え方せずに生きているからであるにすぎない。(どだい...0点取っても何点取っても関係ない、と思うのならば、学校なんかハナから行かなければいいわけで、学校通っておきながら0点が恥ずかしくないというのはおかしい。「義務教育だから」って、おっとっと、それはダメ。それはナシ。そもそも学校というシステムに異議を唱えていながら、「義務教育だから」って、黙って通うなんて、どういうことだ。そんなとこで思考停止か?学校から出りゃいいだろが、ただし、損やペナルティ覚悟で。損したくないから通うけど、ルールも守りたくないし、文句も言い続ける...ダメじゃん、それ、全然まったくダメな人間じゃん。
自立してないじゃん。半端じゃん)
アウトローの生き方や考え方もそうで、
アウトロー以外の圧倒的多数が、法とルールを尊重し遵守しているがゆえに、彼らの商売は成り立っている。
みんながアウトローになった時、アウトローは安全で旨味のある商売ができなくなってしまう。
「自分以外の人が法を守る」ことを前提に、「自分だけが他の人の気づかない抜け穴をくぐり、出し抜く」からこそ、アウトローは食べていける。
ルールを利用しながら、尊重せず、その維持に協力もしない。
つまり、
世の中の寄生虫なのである。
「ギャンブルは、法とも秩序とも無縁な、アウトローの世界で生まれている。『法も秩序もなければ、人間は本来こういう生き物なのだ』という”自然の理”にもとづいて、フォームが形成されている。...私たちは、法や秩序を重んじる”市民の理”の世界に生きている。ところが、実際の行動の基準には、”自然の理”が息づいているのだ」
さい ふうめい『阿佐田哲也勝負語録』サンマーク文庫、p.59。
これ、
居直りである。欲望を全的に肯定する、のが「自然」だと言ってるわけである。
よっぽど「さいふうめい」、自分をすくい上げなかった不自然なる「市民社会」が怨めしいようだ。もっとも、さいふうめい、劇画『哲也』の原作で多分今ではわりと金持ちの部類に属していることと思う。守るべきものも増えて日々悩みが多いこったろうなw
「ギャンブルは、人間が作ったシステムのうち、最も自然の原理に近い世界なのだ。だから、市民は恐れる」(同、p.67)
ルールを守って暮らす人を臆病者呼ばわりしているわけですな。ケッ。
「法律とは、どんなにやましいことをやっても、『法を犯していないのだから』と市民を納得させるのに、必要な材料なのだ」(同、p.72)
「小綺麗な服を着て、テレビでトレンディ・ドラマなどを観ている私たち小市民も、
一皮むけば焼跡の戦争孤児と同じことをやるのだ」(p.90)
さいふうめいがいかに「法律」と「市民」を軽蔑しているかがわかる。「私たち小市民」という書き方もイヤラシイ。自分がソレに属しているなんて、本気で思ってる者の書き方にはとてもみえん。しかも「小綺麗な服」「トレンディ・ドラマ」このおぞましいまでに単純なステレオタイプはどうだ。天声人語とか、神父の説教とかヘボい教師の朝礼とかによくあるやつだ。それこそ「小市民」じゃねえか、バーカ。
屁理屈こねるにしても、せめて自分の言葉でこねんかい。言葉の夢の島からヘチって来たような、他人の使い古したガラクタ使うんじゃなくてさ。
あのなあ、
「一皮むけば」じゃねえんだよ、阿呆。その「皮」のことを文明と呼ぶの。《カタギも一皮むけばヤクザと同じ人間》とかさ、その「一皮」の区別が重要なんだっつの。人間「一皮むけば」動物と同じだから、って、町中フルチンで歩かれてたまるか、バカンダラ。
大体、こういう極度にシニカルな考え方していたとしても、次の二点はどうなのであろうか。
(イ)その小馬鹿にしてる(権力者が自分の都合で勝手に決めた、と考えている)「法律」によって、さいふうめいの
権利や財産は守られている、という事実。文庫本の奥付にはちゃんと「(C)Fumei Sai, 1996」って書いてあるじゃねえか。
(ロ)さいふうめいの本を
買って読んでくれている読者のほとんどは、彼が小馬鹿にし軽蔑してる(ように見せようとしているが、実は恐れ、羨み、憧れている?)「市民」であるという事実。
結局この人、(都合のいい)法律に
寄生し、(お人好しの)「小市民」に
寄生し、(故人だから引用されても文句を言うこともない、有名人の)阿佐田哲也に
寄生し、てるわけなのです。
なんかねえ、
こういう了見の奴ら、腹立つんだよなあ。
《ルールとは
他人/
権力者/
大人たちが自分の都合で勝手に決めたものだ》
《だから「悪い」[自分に不利な]ルールならば
守らなくてよい》
《他人の決めたルールじゃなく、
自分の正直な気持ち[欲望のこと]に従って生きるんだ!》
《
人間は一皮むけばみな同じ。だからカタギもヤクザも、小市民もアウトローも、深窓の令嬢も娼婦も、社長も乞食も、警官も泥棒も、みな同じ。
いいかお前ら[と、ここで取り巻きの若い者に説教!]、
人を見かけで差別するような大人には絶対なるなよ!》
......ああ、腹立つ。
そいでまた、こういう奴らをかばったり持ち上げたりする「
リベラル」とか「
人権派」
とか「識者」とかも腹立つ。「すべての犯罪は革命的である」とか寝言コイてるような奴もだ。
「
てめえら殺すぞ。てめえも殺す。てめえもだ」(まるごし刑事風)。

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