クリスマスの礼拝にはもう十数年行っていない。いつだったか聖イグナスチオ教会の深夜ミサに行った時、あまりの多さに聖堂に入りきれなかったので懲りてそれ以来のご無沙汰である。
深夜0時の教会の鐘の音とを合図のように始まる荘厳な歌ミサでラテン語で、それは感動的だった。今では各国語で行っているようだが・・・。この時間、世界中のカトリック教会で同じようにミサが挙げられているなんて素晴らしいことだと思う。
クリスマス・イヴは敬虔な気持ちで過ごすのが本来の姿なのに、イベントやプレゼントの狂う日本人の多いことか。
日本人は宗教のバックボーンを持たないので、精神的にも貧しく、気持ちの拠りどころも見出せない。それゆえに、淋しさにも耐え切れずにいるのではないだろうか?。
ボクは決して敬虔な信者ではないが幼少の頃からの家庭環境のお陰で、カトリック的なものが考えかたに影響しているようだ。
子どもは親の後姿を見て育つというが、後姿を見られて恥ずかしくない親がだんだん少なくなってきた日本国、この国には恥の文化が失われていくようだ。
子どもの非行、いじめの氾濫、犯罪の凶悪化の源流は、家庭にあると思う。子どもたちは、顧みられない自分が淋しいのだから。
ケーキでは満たされない淋しさを分からなければとおもうが・・・。

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