7月28日 (金)
強い通り雨にあった夕時、私と石川君は裏通りの軒先で降りやむのを待っていた。そんな時も二人の会話はMTのことに集中してしまう。彼はMTの住所等を探す自信があるようだった。が、それは私には教えられないということだった。少しがっかりしたが、そのほうが良いと思ってみたが、やりきれなかった。せめて住んでいるところくらい知りたいと思った。私は彼にいった言葉を思い出していた。
「はてしないものを求めている」、どうして、こんな悲しいのぞみをもつようになってしまったのだろうか。一寸見当もつきかねるのである。
そうだ、はてしないものを求めておりさえすればそれでよいのかも知れない。それで一生を送り通すかもしれない。でもそれは出来ないことだろう。私は弱い。いつかは敗れてしまうことだろう。はてしないものを求めることは出来ないことだ。
以上が、友人山村君の日記である。7月14日から28日まて、それは夏休み前の2週間ほどのことである。
それからの山村君の日記は、あきらめと未練で埋まっていた。8月になると彼は、父の住んでいる沼津に旅立ち、ひと夏、そこで過ごして、全てを忘れようとした。
私はどこへ行くことも出来ず、MTの幻影に悩まされた。
高校2年の2学期が始まり、私は山村君と再会した。学校が終わると、どちらからともなく二人の足は茂原駅へ向かっていた。それはむなしいことだと知っていたが、確かめないではいられなかった。夏休み前と同じように、駅には沢山の女学生たちがいた。そのなかに、ひときわ際立つMTの姿を見ることはなかった。ふたりは黙って街はずれの道表山へ登った。
そこは小さな丘だが、東に向かって眺望が広がっていた。直ぐ下に、彼女の通っていた女子高校がある。目をあげれば、緑に囲まれた茂原の街並み、左には私たちの高校が見える。そして、その果てには、九十九里浜があり、太平洋が広がる。雄大な風景のなかに、小さなことなど忘れてしまうようだ。私たちは何かに失望したり、壁にぶち当たると、よくここへ来た。MTだって、中学、高校5年余りの間には、何べんもこの山に登ったことだろう。しかし、この町にMTを見ることはもうない。
はじめから片側にのみ燃えた青白い焔は、ひとりでに消えてしまった。青春の混迷のなかに、突然、現われた彗星は、超自然な一条の光を残して、宇宙のかなたに流れ去ってしまった。そんな思いがふたりの共通した感情だった。
遠き日の 名を呼べど
返らぬ時の 思い出は美わし
遠き日の 夢のあと
(山村政夫)
<完>

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