2005/4/2

DCの中の日本  DC生活日記
 子供の学校のイベント「インターナショナル・ナイト」を観て来た。文字通り、学校の生徒が出身の国々の音楽や踊り、食事などを披露して楽しもうという企画。これが結構面白い。インドは踊り、中国は太鼓演奏、韓国は強烈なラブバラード、ブラジルはボサノババンド、日本は空手という具合。DC近郊という土地柄、クラスの半分くらいの親は弁護士という変わった環境だが、残りは外国人が多い。数十カ国から来ている。近くに医療関係の研究機関があり、大使館関係者が多いこともその一員。毎日が国連状態。
 そんな中、日本を身近に感じることもDCでは多い。寿司はどこでも食べられるし、安い。スーパーでも売っている。本屋でも日本の漫画だけでコーナーができている。スパイクTVというチャンネルでは、吹き替えで、料理の鉄人、トリビアの泉、風雲たけし城などをやっている。料理の鉄人は最近アメリカ版が始まった。また、トリビアの泉は"Spring of Heys"というタイトルになって、「へぇボタン」は「Heyボタン」ということに。
 日本語のわかる人も多い。この間はバルチモアの球場で、国歌斉唱の時にブルース・ホーンズビーが出てきたので、「すごいなぁ、有名な人だぁ」と言ったら、前に座っていた小太りのアフリカンのお兄さんはきれいな日本語で「彼のこと、知ってるんだぁ、ジャズとか好き?」と話しかけてきた。旅行中も日本語で話しかけることも多い。やはり、軍隊で日本に行ったことがあるという人と、JETプログラムによって日本---特に地方都市---で英語を教えていたという経験のある人が多いということ。JETプログラムは年間千人以上のアメリカの若者が日本に行っていると聞くが、本当に良い制度だと思う。こういう草の根の交流は相互理解にかなり役に立っている。
 そういえば、シュワルツネッガー・カリフォルニア州知事が知事選に立候補していた時、ラジオでクイズをやっていた。彼が昔日本で出ていた「ダイジョーV」という栄養剤のコマーシャルが流れて、「さぁて、これは誰でしょう」というもの。最後に当てたのは、当時日本に住んでいたという男性だった。「ダイジョーVってどういう意味なんだい?」と司会者。「訳すのは難しいけど、まぁ、no problemと言う感じかな」と回答者。なかなか。ちなみに、シュワルツネッガー知事が選挙で前職のデービス知事のリコールを訴えた時の委員会はトータル・リコール委員会、その後、ブッシュ大統領の応援の時の演説では「He'll be back」とやって受けてた。翌日、子供の学校ではみんな真似してたらしい。
 DCはいよいよ桜の季節。1年に1度の桜祭り。日本が再びクローズアップされる季節になってきた。
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2005/3/22

たかが車、されど車  DC生活日記
 広い米国の生活で車は不可欠。どこに行くにも車は欠かせない生活の基本。基本であるから、車を買うのも簡単。近くのディーラーに行って、並べてある車の中から選んで買って乗ってくる。しかし、セールスマンのタフさは日本以上。安い車を買いに行って、セールスマンの執拗なセールストークにボウッとなって、ふらふらと高級車を買ってしまったという人も多い。
 車は生活の基本だから16歳になると高校生も車で通学する。高校の駐車場は親のお下がりと思われる中古車や、「なんでこんなすごいのを子供が?」というような高級車が並んでいる。
 アメリカ人は車の運転中に何をしているのだろう。バックミラーで見ていると、とにかく携帯電話をかけている人が多い。歌を歌ったり、踊ったりしている人もいる。鼻をホジホジしている。とにかく何かしている。コーラを飲んだり、何か食べている人。渋滞していれば、新聞すら読んでしまう。
 さて日本のJAFのような、AAAという団体に加入すると、車が故障した時のレッカー移動などのサービスに加えて、旅行計画にあわせたルート作成と関係する地図やガイドブックをくれる。特に旅行ルートなどは、事務所で「こんな感じで回りたいんだけど」と相談していると、後ろにいるおじさんが「それはどうかなぁ。俺ならこういくがなぁ」などと言いながら話に割り込んだりしてくる。
 現在の自宅の近所はたいてい65マイル制限。時速80キロくらい。といっても、道はまっすぐなのでそれほどのスピード感はない。それが問題。そう、取締りである。結構あちこちに監視カメラがあって、2か月程度後にひっそりと違反の通知が送られてくる。パトカーも、ひっそりと物陰にいたりする。ダレス空港に向かう専用道などはネズミ捕りのために作られたようなまっすぐな一本道。必ず誰かつかまっている。スピードガンを手にサングラスの警官が、ひっそりとこっちを見ている。かくいう私も、ユタ州を旅行中に20マイルオーバーで御用。街を通り抜けたので65マイルに速度を上げたら、まだ街中の45マイル制限が続いていた。前と後ろをパトカーに挟まれた。それでも自分の事態に気づかず、「おっとパトカーが来ているぞぉ、注意して運転しよう」などと家族に語りかけていた自分が悲しい。ここでもらった違反切符には、「どうしても今回の処置に不満のある人はいついつユタ州なんとか裁判所に出頭されたい、さもなければ払え」と書いている。「払わなければ刑務所にいれる」とも書いている。すぐ小切手を送った。
 交通事故もよく見る。身近に回りでも経験者が多い。一つには、変わりやすくて極端な天気も原因の一つ。とにかく雨が降るとなると、5メートル先が見えないように激しく降ることも結構ある。このため、雨上がりにはどこかでパトカーや救急車の音がする。もう一つの原因は道路の照明が少ないこと。DCも一歩外に出るとまさに森の中。ここもあそこも明るく道を照らしておくのは無理。ぽつぽつと灯りが付いている程度。さて夜の森の中。慣れるまでは結構こわい。森の中だから、時折、動物が飛び出してくるのも困りもの。鹿にぶつかると、こっちも命を失う危険がある。それ以外の小動物、例えば、アライグマやリスも交通事故の犠牲者になることが多い。自宅の車庫に車を入れようとしたら、この間も鹿が通り抜けていった。目だけがヘッドライトに照らされて光っている。ものすごいスピードに肝を冷やした。
 冬の雪の時期が終わると、しばらくはパンクの季節。冬の間、除雪車がガリガリと雪をどけ、舗装道路もあちこちに穴があく。「ポットホール」と呼ばれる、その穴も、並みの深さじゃない。はまると、タイヤはパンクしてしまう。なもので、あちこちで蛇行運転する車が見られる。高速道路でも時折ポットホールはある。注意が必要だ。
 あれこれ問題もあるが、車のある暮らしは快適。最初は車にナビを付けないのが不安だったが、確かに必要ない。ヤフーマップを使えば、「ここで曲って、ここでこうする」というドライビングマップも簡単に出てくる。なにせ友人宅まで3回くらい曲るだけでついてしまう。それくらい道がまっすぐなのだから。旅行に出ても、高速道路の標識に、モーテル、レストラン、ガスステーションの標識がついているので、疲れたらすぐに高速を降りて、予約ナシでもモーテルに部屋をとれる。しかも安い。チェーン系列なら60〜80ドルも出せば家族4人で泊まれる。しかも朝食つき!
 さてもうすぐ春。この季節になると、コンバーティブルを全開にしたスポーツカーに載ったサングラスのお父さんが颯爽とご出勤。新緑の香りも心地よい。私もサンルーフ(なぜかこっちではムーンルーフという)をあけて風を感じてドライブする。そんな季節が待ち遠しい。

 
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2005/3/16

DCを食べる  DC生活日記
 DCで勤務する皆さんが口々に訴えるのは食事が不味いこと。もちろん探せば美味しい店も若干はある。しかし、一般には伸び切ったスパゲッティ、ぬるいスープ、一羽丸ごとのローストチキン(しかも、それにフォークを突き刺している野趣)、料理のつけ合わせの袋に入ったポテトチップなど、涙で語られる事例は数多い。子供の学校でも、ランチにはポテトチップ1袋や小さい生の人参1袋をポリポリ、というのが多いらしい。ちなみに、学校においてあるコーラの自動販売機は撤去すべきではないかという議論も時折TVでみる。ただ、アメリカで美味しいもの。それは文句無くハンバーガー。それもチェーン店のものでなく、何気ない地方の小さいレストランで食べるハンバーガーは文句無くうまい。
 さて、アメリカ人にとって、このコーラの自動販売機やソーダファウンテンは必須アイテム。マクドナルドなどでコーラを買うと、空の紙コップを貰う。そして、ソーダファウンテンで好きなだけ継ぎ足すのが一般的。不思議なのは、この紙コップにもサイズが3〜4種類あること。自由に継ぎ足すことが出来るのになんで紙コップのサイズで値段が違うんだ?アメリカ人に聞くと、「だって大きいサイズだとそれだけ継ぎ足す回数も少なくて便利」というが、説得力はない。
 DCのビジネスマンは昼ごはんも情報交換の場。あちこちのレストランで密談が繰り広げられる。しかし、オフィスで簡単に、という人は、もよりの店でハンバーガーや中華のテイクアウトを買ってくる。ちなみに、DCに来た当初"Here or to go?"と聞かれて理解できなかった。「ここで食べます?それとも、お持ち帰り?」という意味だが、最初は何の事かわからなかった。テイクアウトの食事は日本と同じようなビニール袋にいれてくれる。そのビニール袋、どの店のものもスマイルマークがついているのはなぜだろう。未だによくわからない。
 ホワイトハウスの近くに唐突に小さいマクドナルドがある。なぜこんな所に?噂ではクリントン大統領が朝のジョギングの時に食べるために作られたとか。DCのレストランはフレンチが最近減っているという。レーガン大統領の時は結構フランス料理屋が多かったようだが、クリントン政権になってから次第にカジュアルなイタリア料理屋やステーキハウスが増え、格式のあるフランス料理は店をたたんだという。政権の移り変わりもレストランに影響を与えるというのは、DCらしい話ではある。
 そうした中、寿司の人気は絶大。近くのショッピングモールにもテイクアウトの店がある。とにかく寿司の店が多い。カリフォルニア巻はまだいいとして、ペンシルバニア巻とか訳のわからない新種も多い。近所で開かれる食事持ち寄りのポットラックパーティー。我が家はお結びを持参。近所の子供が、「スシ、スシ」と飛びつく。違う。それはお結びなのだ。子供達の怪訝な顔。
 美味しいフランス料理もたまには食べてみたい。フランス大使館の友人にどこかないか尋ねた。すると、「そうね、フランス大使館内のレストランくらいかな」といって片目をつぶった。
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2005/3/11

買い物あれこれ  DC生活日記
 アメリカに来て最初に驚いたのはスーパーの広さ。天井まで商品が山積み。結構深夜も営業している。ポイントカード----といっても家や車のカギと一緒に付けている小さいもの。誰もがジャラジャラ鍵をもっていて、その束の中には、いろんなスーパーやドラッグストアのポイントカードがついているのが一般的----も充実していて、ある程度ポイントがたまると、次回ご利用の際にシャンプー買うと2ドル引き、みたいなクーポンがレシートの最後についてくる。そのクーポンもいくつもついているので、レシートが1メートルくらいになったりする。近所のスーパーでは、レジも一部セルフになった。自分でベルトコンベアーに商品を流していく。途中ゲートみたいになっていて、商品がチェックされる。野菜とかは手元のディスプレイで選んで、タッチパネルで入力。なかなかお洒落な機械で慣れれば便利なのだが、ご老人には操作はちょっときつい。結局、店員さんを呼んだりして、列はシャンプー売り場の向こうまで続いたりする。これは何なのだろう。
 毎年12月に入ると、いっせいにクリスマスセールがはじまる。その性根の座ったアメリカ人のショッピング意欲はすごい。1年間まるで何も買ってなかったかのように、猛烈にプレゼントを買いまくる。リボンやラッピングのコーナーも大賑わい。「あの人の喜ぶ顔が見たい」-----というのが図式なんだろうけど、現実は現実、プレゼントには商品お引き換え券がついていったりもする。「わぁうれしい、これ、前から欲しかったんだぁ」などと喜んでみせ、翌日にはお店の返品の列に並んでいたりする。クリスマスの翌日にはいろんなお店の返品コーナーにできる長蛇の列は圧巻だ。ちなみに、この時ばかりは皆なゲッソリしている
 普通、買ったものはすぐに返品もできる。しかも理由はいらない。小生の周りには、スイカを買ってちょっと食べたがまずいので返品した人もいる。理由を聞かれて、「好きじゃないから」とだけ答えたという。答える方も引き取る方も、どちらも豪快さんだ。
 と思えば、秋口の落ち葉の季節。強い風で落ち葉を吹き飛ばすブロウワーという機械。確かに年に何回しか使わない。とすると、手は一つ。機械を買ってきて何日か使って、「気に入らない」といって返品。よくないことだとは思うが、これもやった人が身近にいる。
 返品するとクレジットカードにお金が戻ってくるリクレジットが一般的。現金で帰ってこないのは、なんとなく不思議な気分。
 返品がこんなに多い国なので、たとえばガーデニングのスコップなどを物色していると、本当に土の付いた商品が多い。きれいにしないで返品し、それをまた、そのまま販売している。豪快さんの二重丸だ。
 近くのショッピングモールにパソコンショップがある。よく通っているのだが、小生と年格好の似たおじさん達が無言でウロウロ、時折、パソコンをうっとりと撫でたりしている。こんな光景見ていると、本当に、どの国でも同じだなぁと実感する。特に最近はアップルストアで商品を手にウットリとしている老若男女の多いこと、多いこと。そういう自分も、そろそろパソコン買い換えようかなぁなどと、人混みの中で、ウットリ族の一人になっていたりする。。。
 日本食材は外国では手に入りにくいのが常識。日本食料品店にいけばいいのだが、ちょっと高い感じもする。ところが、韓国の人たちのスーパーがある。ここには、あるわあるわ、すごい量のラーメンやら漬物やら。しかも安い。韓国スーパーのおかげで、我が家は食材には困らない。ああ、ありがたい韓国スーパー。感謝感謝である。
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2005/2/27

雪のある生活  DC生活日記
 暖かい四国で生まれ育ったこともあり、雪は苦手だ。もちろん東京で生活してきたので雪かきもやったし、雪の上をどう歩けばいいのかとか、少しはわかってるつもりだが、DCの雪はまた少し違う経験をさせてくれる。
 アメリカに来て思うのは、ものすごく天候の変わり方が極端だということ。昨日はポカポカしていたのに、翌日にはドカーンと大雪。実は今晩からまた雪だと言われているのだが、子供はワクワク。雪が多いと学校が休みになる。毎年3日分、雪休みの予備日がある。これを使い果たすと、今度は春休みや夏休みが削られるので、バカンスの予定を立てている両親の怒りを買う。ちなみに、連邦政府機関が休みになると、雪休みは消化されないんだとか。変なルール。
学校が休みかどうかは朝のTVの下に出る。カウンティのHPでも確認できる。メールも送ってくれる。これは便利だ。
 昨年1月、旅行に行って空港の駐車場(屋外)まで戻ってきたら、車が雪の中。途方に暮れていたら、やってきました、レスキューおじさん。「どうした、車が出せないのかぁ?」などと言いながら近寄ってきて、あっという間に車を掘り起こして、立ち去る。「せめてお名前だけでも」と取りすがると、「いやいや、空港のもんです、気をつけてっ、」などと言いながら立ち去っていく。この得ばかりは、「シェーン、ありがとぉー」という気分になった。
 雪の中、仕事に向かう。このあたりでは、スノータイヤは履いていない。チェーンも禁止。あくまでノーマルタイヤで雪の上をゆっくり走る。当然、立ち往生する車が続出する。2年前の大雪の時は、立ち往生した路肩の車の上に除雪した雪が大量に積まれ、なんだか、単なる塊になっていた。その2年前の時はとうとうカウンティの予算がなくなって、もう融雪剤はありません、というところまでいった。
 雪が降って休みなる分には、それはそれで良い。しかし、雪の重みで、電気や電話が切れると、それこそ死活問題。特に暖房。暖房それ自体はガスなんだが、着火の部分が電気なのでどうしようもない。通常、家のなかはまとめて暖房しているので、家じゅう暖かい。半袖で十分だ。よく映画とかでベッドに裸で寝ているの見て、「あれ、寒くないのかなぁ、外人さんは」とか思ってたけど、なに、暖房やら効いているから問題ないわけだ。話がそれた。暖房がきれると、いきなり零下10度以下の世界に突入する。人々は薪を買いに走る。普段使い慣れない暖炉に薪をくべ、暖をとる。
 しかし、雪で街は混乱していると、ニューヨークとかボストンとか北の出身の人はあきれたように言う。「ホント、この辺の人はだめだよねぇ、あの位の雪でバタバタして。あんなのウチの地元では普通よ」てなもんで、その口調、富山出身のうちの嫁さんが私を馬鹿にしていうのと、なんとなく口調が似ている。。。
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2005/2/17

世界の中心で。。。  DC生活日記
 ワシントンDCの道路は碁盤の目になっている。連邦議会を中心に4つの区画に別れ、南北に延びる道は番号、東西に延びる道はアルファベットが振られていて、とてもわかりやすい。斜めに延びる道は州の名前。日本大使館があるのは、その斜め道のひとつ、マサチューセッツ・アベニュー。日本人の間では「マスアベ」と呼ばれる。各国大使館が多いので、「大使館通り」とも呼ばれる。日本の隣が韓国、前はトルコ、というわけでワールドカップの時は盛り上がる。
 このマスアベを通ると、世界の動きと連動しているのがわかる。大使館の斜め前はイスラミックセンター。911の後、ブッシュ大統領が「これは宗教戦争ではない」と演説した。アラファト議長がなくなった際は弔問の列が出来た。「マスアベ」ではデモも多い。「虐殺反対」のプラカードがある大使館に並び始める。スーダンの一件がメディアに出始めたのは、それから1か月程度後。しかも、メディアで報道されるようになると、デモ隊に向かって激励のクラクションを鳴らしたり、拍手をする人も多い。
 レーガン大統領のお葬式の時も「マスアベ」を通った。10メートルおきに警察官が並び、車列が来ると「第四ぶたーい、けいれーい」と部隊長が叫び、一斉に敬礼。なかなか見事。ちなみに、大使館脇のよく使う道路は穴ぼこだらけで1年以上放置されていて「本当にここは先進国か?」とよく言われていたのだが、このお葬式の車列が通るというので、一晩で再舗装が完了した。
 イラク戦争も開戦の際も、街中はとても重苦しい雰囲気になった。別に誰もが暗い顔をしているわけでもないのだが、なんとなく雰囲気が重いという感じ。しばらくすると住宅地のあちこちの木に黄色いリボンが結ばれたり、車にはったステッカーが黄色いリボンだったり。「私達の軍隊を支持してます」のメッセージ。家族の中に戦地へ赴いた人もいるんだろう。子供の学校でも、ある日、友達が泣きながら登校してきたという。お兄さんが今日イラクに向かったのだという。また、ある業界団体の人と話していたら、胸に黄色のリボン、そしてアメリカとイラクの国旗の入ったピンバッジ。聞くと、「弟が今イラクにいるんだ」という。イラク戦争はとても身近だ。
 911以降、正直、イスラム系住民に対する警戒感は強い。インドの人と話していたら、議会周辺ではよく職務質問を受けるという。彼は立派な弁護士なのに。また、ある時タクシーに乗ると、パキスタンから来たという運転手は、「タクシーしか仕事がないんだ」という。理由を尋ねると、「名前を言っただけで駄目なんだ、イスラムの名前だから敬遠されるんだ」という。厳しい現実。
 ホワイトハウスを擁する街、ワシントンDC。世界の中心であるのは間違いない。ドラマじゃないけど、世界の中心だからこそ、愛を叫びたいものだ。
 
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2005/2/15

ブロードバンドはまだか?  DC生活日記
 DCに来て最初にやることの一つは電話をつけてもらうこと。生活の基本だ。申し込んだ。「明日行く」という。明日になる。来ない。電話する。「前の工事が長引いた」という。「わかった、では明日大丈夫か?」と聞く。「もちろん。だけど時間の指定はできない。多分、昼までには行くので家にいてくれ」と言う。待つ。。。来ないのだ、何故か。結局、こんなことが続いて、電話がついたのは申し込んでから10日目だった。「ここは先進国か?」と不安がよぎった。
 生活も慣れて、やっぱりDSLにしよう、という事に。なんとなく嫌な予感がした。ところが、DSLを申し込んで、モデムはすぐ送られてきて快調にDSLは開通した。「何だ、電話がレアケースだったのか、はは、はははは。」----しかし、予感は的中した。今度は普通の電話のノイズがひどくて通話できない。さっそくカスタマーサービスに電話する。「お電話ありがとうございます。あなたのコールは私達にとても貴重です」というテープを15分くらいじっと我慢して聞き続けて、それから担当者にようやくつながる。この段階で既に戦闘意欲はなくなっている。それを察したか、「お宅の宅内配線の問題ではないか?」と担当者は事もなげにいう。実際来てもらってチェック。違う。次。「町内の電話線の問題ではないか?」と言う。どうも違うらしい。結局1か月かかって結論。電話局の配線ミスだった。
 ここまで苦労したDSL。だけど実効スピードは600kbpsくらい。日本のサイトにアクセスしてブロードバンドかナローバンドか選ぶとき、悲しいかな、ナローバンドを選ばないといけない。これは悲しい。でも、日本に先駆けてiチューンミュージックストアで1曲単位で音楽をオンライン購入できるし。CDにも焼けるし。いいことも少しある。ちなみにiポッドは最初からすぐに言語選択ができるようになっている。だからこっちのアップルストアで買っても日本語ですぐ使える。これはすばらしい。
 そもそもアメリカで買ったパソコンは日本語が使えるのか?結論から言えば、使えます。ウインドウズもXPになって、随分簡単になりました。言語のところで東アジア言語をチェックをいれると、簡単に使えます。時々文字化けしますけど。この「東アジア」のグループは中国語・韓国語・日本語。なるほどアメリカから見れば、この辺はセットなのね、と妙に比較文化論してしまう。
 ブロードバンドはこれからだけど、携帯はやはりすごい普及-----トランシーバーとして使うプレス・ツー・トークも建築現場などではすごい人気(なぜかアメリカ人はトランシーバー好き)。サラリーマンならブラックベリー(つまらない会議でよくゲームをやっている)。携帯が普及して、日本では新幹線で「携帯はデッキに出てお願いします」とやっているが、ここアメリカではマナーなどないに等しい。ニューヨークとDCの間の電車アムトラック。各座席にコンセントがあるので、電車でもパソコン使えて便利だし、何回か利用したが、とにかくうるさい。5分おきに電話で話している大声が聞こえてくる。「あぁ、ハニー?今電車なんだ。あと2時間で帰るから。仕事?もちろんうまくいったさぁ」なんて。2時間我慢できんのかと言いたくなる。「あっ、お母さん?僕だよ、うん、待っててね、今帰る途中だから」なんて声を聞いたこともある。これはあったかい気持ちになるので、よろしい。
 その携帯の売り方。やはり出ました。無料端末。最近は多い。笑えるのは米国特有の売り方。牛乳なんか5本買うと2本タダといった「量で売ります」的なセールスが一般的。携帯電話も"Buy One, Get Three "(1個買うと3個タダ)とか。家族4人で定額いくらというサービスが一般的だからではあるのだが。
 最近会議に出て思うのは着メロがようやく普及してきたこと。たかだか2年前、日本の着メロの話をすると「日本人は変なもんが好きだねぇ」と笑っていたはずなのに。面白いのは、いきなり、アース、ウィンド&ファイアの「セプテンバー」とかがコンファレンスで鳴り出したりする。「一体誰だ、あんな古い着メロは」という感じで視線が集まる。でもこの間、レストランでいきなりドナ・サマーの「ホットスタッフ」が鳴り出した。「ハロー?」声の主はスリムな、そしてハスキーな声のアフリカンのお姉さん。これは格好良かった。
 ブロードバンドはいいけど、デジタルディバイドは困る。それはそう。ではアーミッシュの皆さんは?彼らは車も使わない。本当にアーミッシュ村では車でなくって、黒い小ぶりの馬車に乗っている。電気はダメが基本。ならパソコンも駄目?どっこい、最近は教義が柔軟で、電気会社から電力を供給してもらうのは駄目だけど、重油で自宅で発電して冷蔵庫を使うのは認めているらしい。したがってパソコンも使える。
 アメリカでは「夢のまた夢」と思っていた光ファイバー。なのにベライゾンは昨年12月、我が町内に光を敷設してくれました。意外なクリスマスプレゼント。何せ突然、「水道管はここ」とか「ガス管はここ」といった線がオレンジの蛍光塗料で各家の芝生の上に引かれた。それから苦難の1か月が始まった。ラティーノのお兄さん達が陽気に朝早くから地面を掘り返してファイバーを埋めていく。そして、電話線や地中化されている電力線もスコップでぶっちぎっていってくれる。12月、一体何回、電話が切れたことか。停電したことか。ファイバー埋めるのも浅い。お兄さん達の腰までしか地面を掘ってない。そこにオレンジのパイプに入ったファイバーを埋めていく。昨年末には大体工事も終わった。それから2か月。夢のブロードバンドが開始されるという話は聞かない。あの大騒ぎは一体なんだったんだろう。本当のダークファイバーのままだ。。。
  
 
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2005/2/12

こうして私は早起きになった  DC生活日記
 霞ヶ関の官庁に勤務していると、深夜までの勤務が常態化している。特に国会開会中や法案策定の担当をしていると、ほとんど泊り込みになる。 02年夏にDCに引っ越して来た時、一番変わったのは生活のリズムだった。とにかく朝が早い。
 6時には起床する。歳をとったから?それもある。あるけれども、実のところ、子供の予定に左右されるのだ。娘はハイスクールに通っている。町内にバスが来るのは6時40分。それまでに準備して出て行く。というわけで一家揃って6時には起床する。冬の東海岸だと6時というのは暗い。それに恐ろしく寒い。零下10度を下回ることも多い。
 何であれ、6時に起きる以上、私も子供のバス停までの通学に併せてウチを出てジョギングをする。7時には帰宅し、衛星方法でNHKのニュースを見る。その後「ふだん着の温泉」なんていう番組をウットリと見たりする。その後、メールのチェック。日本はまだこの時間働いている。ちょうど日本と東海岸が昼夜逆転しているので、ある意味、効率的に仕事ができるのだ。
 アメリカ人は、みんなこんなに早く起きているのかと思うこともある。答えはイエスである。テレビのモーニングショーを見よ。朝5時スタートである。7時には高速道路の渋滞は始まっている。みんな早起きなのである。
 7時半ころ開始される会議も結構ある。ペイストリーをムシャムシャ食べながら会議をして、9時終了というものもある。ラッシュを避けて会議して、その後、9時からは普通に仕事をどうぞ、という狙い。アメリカ人、特に知識層の人たちはがむしゃらに働いている。並の日本人の比ではない。それだけ競争の激しい世界ということなのだろう。
 とはいえ、週末の金曜、それも午後になるとオフィスでつかまらない人も結構いる。もう帰宅を始めているのだ。議会関係者の場合、議員は金曜午後には選挙区に帰るので、議員がDCからいなくなればお役ご免という人も結構いる。議会周辺のパブに行くと、金曜の昼からビールを飲んでいる議会スタッフも結構いる。
 もちろん朝早く家を出て、その分、仕事を早く片付けるというのもあろう。夏ならまだ明るいうちに家路につく。そして庭の芝刈りをして、ビールを一杯、家族との語らいと続く。これもひとつの生き方ではある。
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2005/2/12

寄付と浄財  DC生活日記
 04年末の津波被害はサザナミのように衝撃が世界に広がった。寄付をしようという機運が一気に高まった。アメリカでは、ブッシュ元大統領とクリントン前大統領が寄付をしよう運動の先頭に立っている。スーパーボウルにもご両人が登場し、寄付を訴えた。DCのインドネシア大使館には”Thank you America and the world”という垂れ幕が掛けられている。
 アメリカ人にとって寄付はとても重要な要素。あちこちで寄付をお願いしますの声が聞かれる。実際の寄付活動の中には結構面白いものがある。
 息子の参加している野球チームの寄付。金額が多いと「ホームラン」、額が少なくなると「ドナー」、さらに少なくなると「フレンド」と呼び名もつれない。明確に差別して、寄付者を区別する。
 学校でも結構すごいことをする。寄付集めのイベントとして、生徒対先生のバスケの試合を開催。当然、先生の方が強い。なもんで、寄付金を親から募り、寄付金の額に応じて子供チームにスコアを事前に上積みしちゃう。ハンディを寄付金で決める。親は子供達を勝たせたい、子供の喜ぶ顔が見たい。というわけで、寄付金の額が膨らんでいく。一種のインセンティブというわけ。また、寄付金集めのためのボーリング大会が学校で開催された。得点に応じて寄付金の額が増える。10ピンいくらで寄付金が決まる。
 寄付は浄財であり、崇高な精神が伴うもの。しかし、アメリカでは寄付金の額を「差別」したり。寄付を「ゲーム化」したりする。日本だと多分「不謹慎」とか言われるかも知れない。この「楽しんで」「役に立つ」のがアメリカのいいところかも知れない。
 政治献金も一種の寄付。ブッシュ大統領が03年6月にDCでホテルで開催した政治献金のためのパーティーはなかなかすごかった。参加費は2千ドル(約20万円)、そして食事はなんとハンバーガーだけだったという。20万円のハンバーガー。
 大統領選での募金活動は、その後もすごかった。ブッシュ陣営の場合、10万ドル(約1千万円)以上の献金をした人は「レンジャーズ」と呼ばれ、大統領と朝食したりする権利がもらえた。いっとき勢いのあった民主党のディーン候補のHPを見ると、「ぜひ寄付を!」とあって、各種クレジットカードでお支払いいただけます、選択肢として50ドルとか100ドルとかメニューとして出てくる。しっかりシステム化されているのに感心した。
 最寄りの消防団の募金活動もなかなかのもの。消防団は献金で成立している。そのため、あの手この手で寄付を募る。募金をすると家族写真をプロに撮ってもらえる。もらえるのは四つ切り程度。でもオプションでもっと立派なものも購入できる。現物をみてしまうと、ついつい買ってしまう。かくいう我が家もそう。というわけで、消防団と写真館はお互いメリットがあるというわけだ。ちなみに、消防団は募金活動が一段落した12月になると、突然、夜に各町内をサイレンを鳴らしながら回る。消防車の上には消防署員の扮したサンタクロース。「メリークリスマス」-----各家庭は笑顔で手を振り、来年も寄付しようという気になってしまうのである。
 なかなかよく出来た仕組みだ。
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2005/2/12

名前は正しく読んで欲しいのだが  DC生活日記
 私の名前は谷脇康彦という。このタニワキヤスヒコという名前、外国の人には全く聴取不可能のようである。「ターニワーキーというのは、なんかジョニーウォーカーみたいだな」と昔勤務していたOECDでドイツ人に言われたことがあるが、ともかく、母音がいっぱい入ったこの名前、欧米人には記憶不可能である。
 この間、コンファレンスにいって名札をもらおうと名前をいったら、「え、なんて言った?」という。「タニワキ」だというと、「なに?タニンスキー」とかなんとかポーランド人みたいなことを言う。「お前がちゃんと発音してみろ」といので、ゆっくり「ターニーワーキー」といったら、「よく出来ました」といって、受付にいたおばちゃん達全員に笑顔で拍手された。いや、そうじゃなくて、こっちは名札が欲しいだけなんだけど。
 電話勧誘の電話。「ミスター、ウー、タァニィームゥーカー」とか言う。「惜しい」とつぶやいて「タニワキ」だと言う。先方、しばらく沈黙、「まぁ何であれ、ミスター・タニムカ」と言う。いや、どうでもよくないのだ。先祖伝来の名前だぞと思う。
 携帯会社のベライゾンワイヤレス。契約の際にパスポートを見せた。どうも「発行地:東京」と書かれていたのを、私のファーストネームだと思ったようだ。翌月から来た請求書の宛名は「ミスター・トーキョー・タニワキ」になっていた。場末の芸能人みたいだ。アメリカ人の秘書にも爆笑された。営業所に問い合わせたら、契約を申し込んだ代理店に出向けば名前を直してやる、という。しかし、「ヤスヒコ・タニワキ」名の小切手で支払いをしても全く問題ない。なもんで、もうあきらめた。
 社会保障番号を最近取得した。到着したら、やはり名前が「タスヒコ」になっていた。電話して「直してくれ」といったら、「なんで間違えたのかしらねぇ、2週間以内に新しいカードが行くから」と言われた。3か月たった今も届かない。でも「タスヒコ」でも何にも本人確認には問題が出ていない。
 私の本名は何なんだろうか。わからなくなってきた。。。
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