2006/11/20

遭遇  
 代々木にある青少年記念オリンピックセンター。小田急線の中に折りたたみ傘を置き忘れ、濡れ鼠になって今日のリハーサルへ向かった。
 早く着けば泳ごうと思っていたので、小脇にかかえたバッグのなかには今日も水着がはいっていたが、時間がなかった。どちらにしても泳いだ後のように髪は濡れていた。
 不思議なデザインの長い階段の中腹にある、カフェでカプチーノを飲んでいた。大きなセンターテーブルに人と話しているある人物が目に入る。
 二人の話が終わるまで待って「もし人違いだったら、ごめんなさい」と声をかけた。
私には間違えていない自信があったけれど。
卒業以来一度も会ったことのない、大学のクラスメートだった。私は間違えていなかった。懐かしかったし、びしょぬれになって情けない気持ちになっていた私は少し元気になった。
 演劇集団円の、私の大好きな(昔チャーリーズ・エンジェルのひとりの吹き替えをしていた)ある女優さんが、クラス会で再会した同級生と40代で結婚された話題が急に脳裏をよぎる。
最近極端にさみしくなっている私は、「なに考えてるの!」と自分に言い聞かせる。

(彼は卒業して間もなく結婚したはず。)
それは兎も角、いろんな人に再会するのはとても嬉しい。偶然はないから。
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2006/11/7

突然のさよなら  
 次回帰国は11月の22日、パリ発のスイスエア、はじめての経由便をとっていた。期せずして10月26日母の危篤の一報で当日のJAL406便に滑り込む、3年前初めてパリに着いた時、ヴォルテールのアパートの前で私を待っていてくれた友人のジュンコが空港まで送ってくれた。その日乗り馴れたJAL便は追い風で早着した。
荷物を待つベルトの横の公衆電話から電話、まだ意識のある母の声は「早くおいで」と叫んでいた。
 中央アルプス連峰の玄関口にあたる信州駒ヶ根まで成田から高速バスを乗り継ぎ5時間はかかる。到着すると待ちくたびれた母は酸素マスクを付けモルヒネで痛みをおさえながら昏昏と眠っていた。声を掛けた私にパッチリと目を開け、そしてゆっくりと閉じた。遠のいてゆく母の意識の中にわたしがはっきり映っただろうか。
 翌日、日本時間10月28日の午後3時46分母は永眠した。空港の税関前で聞いた声を最後に、二度と母は声をかけてはくれなかった。その後は怒涛のような日々だった。
 当地の慣習で葬儀は骨葬だ。通夜も枕経からはじまり、納棺の儀を経て翌日に荼毘、葬儀は3日目という慣れない流れにとまどいながら、しかも施主で悲しんでいる間もない。
 劇団に入った時初舞台の役が葬儀屋だった。本当の葬儀屋さんと打合せをしている時にアタマの隅で考えている。この次葬儀屋の役がきたらこの人みたいにやってみようと思う、それほど味がある。
思いっきり泣いて、とか、いろんなこと考えるけど母はいつも前向きで20年にも渡ってガンと闘っていたのにいつも明るい人だった。時々こそこそ泣いて母にみつからないようにしなければと思う。
ありがとう、ママ。わたしがここにいること。私のパパとは添い遂げることはなかったけど向こうでゆっくり会って話をしてください。
 一枚しかない3人の写真を私はいつもパリのアパートの棚に飾っています
12月公演の稽古。友人がいて芝居があって私はしあわせである。
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