2018/3/31

充実というのか  
 早咲きの満開の桜…お花見も特になく、昨日は稽古休みに、別の朗読劇の顔合わせ。今日は午前中からの稽古に、夕方から演出者協会の会議。未だ、確定申告も出来ず…。なんだろう、この時間の無さ。今夜は満月!と思いきや、正確には明日だった。
「手紙」文学座の得丸さんのホンは、予習しているうちに涙が止まらず、、いかん、泣いてる場合じゃない、と自分を諌める。「しあわせの雨傘2018」と「手紙」四月の後半まで。しかし、課題が目の前にある幸せを、噛みしめる。 
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2018/3/3

大家さんのこと  
 春が近づいていた。Next Generation in Asia三年目の本番を週末に控えたとき、突然の訃報が入る。間違いではないかと疑った。青年座の大家仁志さんが亡くなったというのだ。だってついこの前まで舞台に立っていたのだから。最後の舞台は行かれなかったが、12月「断罪」もその前の新国立での「ブンナ」も観ていた。ブンナの時舞台裏でお客様と面会中の大家さんに久しぶりに会い、言葉を交わした。その時とても痩せていたので、心配すると、「もう大丈夫。山上はどお、元気か、気をつけてな。」と言われた。あの時相当きつかったのだろうなと察する。
 2006年の秋から大家さんは一年パリに来た。私の住んでいた19区のアパートに彼が入り、私は4区にある小さなステュディオに移った。週末の蚤の市に衣裳を探しに一緒に行ったり、私のアパートに来てささやかな夕食を共にすることもあった。母の危篤の知らせが入り、急にフライトを予約して発つ時、玄関のドアのところで靴を履きかけの私に、裸の20ユーロ札を握らせ、「弁当でも買って」だったか、「何かの足しにしろ」だったか、下さった。お兄さんのようだった。2007年の春ビザの更新に失敗して一時帰国するまで、大家さんとはよく会っていた。
 ロンシャン競馬場も一緒に行った。日本人騎手の竹豊が乗る凱旋門賞の時だった。大晦日のエッフェル塔近くの花火大会も確か二人で行った。ワインを大家さんのリュックに忍ばせて会場に行くと、ガラスの瓶は持ち込み禁止だったので、近くのキオスクでエヴィアンの1リットルを買い、水を捨ててペットボトルにワインを移し替えて持ち込み、場内で飲んだ。高いシャンパンを何杯も買って飲めないからだ。クラウンの発表があるから何か派手なもの無いかと聞かれ、私の色々柄の長靴下を貸したりもした。それは今も持っている。大家さんが履いた靴下だ、と見るたびに思い出す。
 大家さんは、長野県松本市の出身だった。私が母の郷里で飯田高校に通った頃、ほぼ時を同じくして大家さんは松本県ヶ丘高校にいたことになる。ご縁があって松本を含む中信地区の高校演劇に関わり、まつもと芸術館に昨年まで毎年通った。現在の芸術館の敷地内に大家さんの御実家の酒屋さんがあったと伺った。大家さんの母校、県ヶ丘高校の生徒たちと毎年交流があったのもただの偶然と思えない。
 柩の中の大家さんは髭が少し生えていて、ハンサムだった。代々幡斎場でお別れをする時、「優、がんばれよ。」という声が聞えた気がした。サヨウナラ。とても悲しいけれど、もうすこし頑張る私をどうか見守っていてください。ありがとうございました。クリックすると元のサイズで表示します
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