2021/2/8

節分・立春  
 1月最後の日曜日に届いた訃報に衝撃を受け、矢庭に関係筋に連絡を取り始める。ただ居ても立っても居られない気持ちだった。忘れられない写真を取り出すと、日付は丁度30年前の節分の日、舞台の初日だった。Mさんの舞台を初めて見たのは恐らく、1976年の夏休みだろう。45年前…。恐ろしく長い時間。。その時ははまりにはまったけれど、次第に興味は別なことに移った、が、その15年後に演劇界で巡り合うことになる。少女の思い出は深く心に刻まれていて、胸が躍り、心中は穏やかではなかった。こんな風にいつか巡り合うことがあるのだと感動していた。全てのツアーも終わり打ち上げの打ち上げがMさんの自宅で繰り広げられている最中、猛烈な腹痛で私は救急車を呼んでもらい、数件の病院を回った後に調布の病院に入れられた。当時尿管結石という診断を信じていた私は持病の発作だからもう救急車しかない、と判断したのだ。検査の結果は誤診で、実はもっと重大な病気だった。入院中に父が他界。自分の身に起こった出来事を持て余し、私が生きていることも奇跡のようで、命の恩人と思い、私は退院後Mさんに長い手紙を書いた。返事はなかった。何年も後にお仕事で再会した時には、「あんな手紙もらって返事の仕様がないやん」と言われた。ごもっともだった。1991年のお芝居から再び間断を経て、別な形でまたお仕事の現場で再会した。幾度も。
 私の転機になった渡仏以来はお会いしていなかったけれど、訃報には耐えがたいものがあった。信じられない、悲しい、という以上に、自分の人生を顧みてしまう大きな衝撃。節分の2月2日、ある方の好意でお別れに行くことができた。次の日からは気持ちが漫ろだったが頑張って仕事の現場へ向かった。週末の金曜日に熱を出した。動けなかった。その日は一日養生し、翌日出掛けると、私を連れて行ってくれたその人に会う筈もないのに遭遇した。お互いにあまりの偶然に驚いた。彼の人はもう旅立っていた。前日がご葬儀だったと聞いた。私が熱を出したのもその人に遭遇したのも偶然ではない思いがした。
 今年2月2日が節分なのは37年ぶりだとか。昔は大晦日と同じような歳の終わりと考えられていたという。立春から確かに季節が移った実感。「さよならだけが人生」なのか。もう少し頑張るために、いま必死に自分を鼓舞している。
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