さあ,いっしょにサラダをつくろう

2004/11/5

■活字化できる現時点での全て  ▼ちょっと思考

 「香田 証生 という名前の日本人がイラクで誘拐された」という情報を聞いたのは、確か職場の休憩室にいるときだったと思う。この人の両親はクリスチャンだな。一番初めにそう思った。後々、やはり香田証生さんのご両親はプロテスタント教会の信徒であることを知る。
 証生 = 証人(あかしびと)として生きる
つまり、”神の愛を証しする人”という意味であろう。そして、香田証生さんのお兄さんは、”真理と共に歩む人”もしくは”真理を知る人”という意味で「真生」。ただ、当然だがあくまで推測の域を出ない。

 香田証生さんの殺害が確認された後、マスコミが報道した”家族のコメント”は次のような一節で締めくくられている。「イラクの人たちに一日も早く平和が訪れますようお祈りいたしております」。「祈る」という用語を大辞林(三省堂)で調べると2通りの意味が示される。
1)神や仏に願う.祈願する.
2)心から願っている.希望する.望む.
発表されたコメントの文中にある「祈る」も同様に、両方の意味どちらともに受け取ることができる。そして、この場合、1つめに示された意味は”形式”に相殺されてはいない。
 
 「香田証生さん殺害」。この事件に関してはほとんどの人が何かしらの”考え”を持つにいたると思う。”ふぅ〜ん”や”へぇ〜”といった類のものからさらに一歩前進して、”言葉”を伴う思考が発生する。いや、発生せざるを得ない。そう思う。ただ、思考の質・量・継続性・方向性などが人により非常に異種多様である為、何を”まともな思考”と認めるかは本当に難しいところである。
 
 私は初っぱなのスタート地点が「香田証生さんの両親はクリスチャンだな」という思考に設定された。だから、それ以後、どんな報道や記事や感想や中傷や罵声や政治発言や宗教発言やお悔やみや同情や世論を耳にしても、いつも思考はふりだしに戻る。新しい情報、新しい意見、どんな新しい述語であっても、主語はいつも「キリスト教徒の両親に”証生”という名前を与えられた人間」になる。もっと正確に言うなら、主語は常にこれで始めるべきだと考えていて、そしてそう努めている、とういことになる。

 フランス啓蒙期の思想家ルソー(1712-1778)は、「近代教育思想の始祖」とも呼ばれ、子どもを”教育の主体”として位置づけた。革命前のフランスでは、厳しい身分制により、農民の子どもと貴族の子どもに与えられる教育には歴然とした差が存在した。ルソーが目指した教育は、「市民」をつくるためではなく、「人間」をつくるためのものであった。”市民=農民”をつくろうと国家により意図された教育を甘受していては、農民になる以外の選択肢が奪われる。ルソーは、「市民」と「人間」に対比する概念として、「社会人」と「自然人」をあげている。

社会人は,その価値が,全体つまり社会との関係いかんによって決まる

自然人は,彼自身がそのまますべてである

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