さあ,いっしょにサラダをつくろう

2004/12/9

■煮ても冷めても  inactivity

 煮付けやおでんといった料理の野菜はおいしい。汁の味わいが染み込んでいればいるほどおいしい。丸一日経過した”次の日”の煮付けやおでんは本当においしい。汁の味が大根やらごぼうやらに染みに染みていてなんともいえずおいしい。煮付けやおでんは、煮込んでから、そのまま放置すると、当然だが冷める。物理的法則により冷める。この、”冷めていく時”が、具材に汁の味が一番染みこむ時なのだそうだ。だから、一晩寝かせた煮付けやおでんの野菜は、作りたてのときよりも、味が染みているのだ。

 夜、夜中に近い夜、寝られないときがある。身体も肌も疲れているのに、寝られないときがある。悩み事や、嫌なことがあると寝られない。それから、考え込むと寝られない。この”考えすぎて頭がショート寸前の不眠”によく遭遇する。しかし、実は、本当にそれが”考えすぎ”なのか否か自分で判断できなくなるときがある。”思考”ではなく、単に”停滞”している感覚に陥り混乱する。「内観法」というのは心理学の意識主義における心理分析の手法のひとつだ。自分自身の意識を自分自身で観察するという、このなんともprimitiveな手法は、後にフロイトら無意識主義者や、ワトソンら行動主義者などにより批判の対象となる。私は専門家ではないので、「内観法」の真髄はわからないわけだが、素人ながらに想像するに、これはきっとしんどい手法に違いない、と思ったりする。

 自分の精神活動をリアルタイムに観察し続けると、必ず”途方に暮れる”ポイントが訪れる。そのポイントを過ぎれば、もしかしたら”何か”を見出すことができるのかもしれない。しかし、私はそういう経験をしたことがない。いつも、耐え切れずに、”楽”を探してしまう。”途方に暮れる”自分を”楽”にするもののひとつに、数ヶ月前から”BLOGでの活字化”が加わった。

 ”途方に暮れる”ことに善悪・優劣の概念をあてはめることは、今の私にはできない。自分を納得させる術を持たないにもかかわらず、事実として、”途方に暮れる”夜は存在する。そして、事実として、自分と世界との間の溝を必ずヒシヒシと感じなければならない。だから、せめて、これは煮付けやおでんを一晩寝かせることなんだと、そういうことを考えてみることを、そういうことを活字にすることを、そういうことをBLOGという場所に記録することを、やるくらいは、良いんじゃないかと思っている。もっと正確に言うなら、それを「良いんじゃないか」と思うことを自分に許しても良いんじゃないかと思っている。
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