今日は大暑、土用の丑の日であった。今日は終日日がさすこともなく、気温はそれほど上がらなかったが、湿気が多く蒸し暑く感じた。一方、丑の日とは、災難を受けやすい日といわれているそうだ。まさに、今日の九州地方、特に、南部は暦どおりになった。長崎も昼ごろ猛烈な雨が降り、24年前の長崎大水害を思わせるような雨であった。
さて、今日私が勤務している店の駐車場のくもの巣を取っていると、ふと、命というものは何かというものを、考えてしまった。くもの巣を取っているとき、当たり前のことだが、ちょうどコガネグモが巣の真ん中にいた。巣は取ったがクモを殺すことができなかった。再び、巣を張ることはわかっているのに・・。このとき「命」とは何ぞや、と考えてしまったのである。小さな命だけどせっかくこの世に生を受けたのに、気持ちが悪いというだけで、人間の勝手のためだけに小さい命を殺すことができなかったのだ。考えすぎかもしれないが。
近年ほぼ毎日と言っていいほど、殺人事件、自殺、世界ではテロの記事が多い。最近では、パ●マ社によるガス事故。会社はひたすら重大な事実を隠し続けたために20人ちかくの人が犠牲になっている。命の重さを考えず、会社の保身のために事実を隠し続けた。憤りを感じる。
そして、母親による児童殺害事件は、命を軽視するあまりの犯行だ。信じられないの一言に過ぎる。
まもなく、終戦から61年を迎える。日本は何十万という人の犠牲のうえに今の平和がある。一部の人間によるエゴのために自ら特攻隊として命を絶った人々、天皇陛下万歳といって玉砕した人々。死は本望であったのだろうか。そう簡単に命は捨てるということはできないはずである。
命ってそんなに軽いものなのか。
たった一回きりの命、一度絶つと二度と戻らない命。
命という言葉をもう一度考えなおしてみたい。

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