ヒーローものが作りたいな、と思っている。
できたら、子供向けという枠組みにとらわれない広い層に向けてのヒーローもの。
といって、『ゼブラーマン』とか『我狼』とかそんなに興味が湧かない。
なんでだろう、と考えて、平成ライダーシリーズの大半を嫌い(好きじゃない、じゃなく積極的に嫌い)な理由と共通しているところがあるんじゃないかと気づいた。
要は正義の不在。
なにしろヒーローっていうのは、川内康範先生が定義づけて暮れたとおり「正義の味方」なのだ。
内ゲバとか当人の損得で戦っているのは、それは、少なくとも私にとってはヒーローたり得ない。
一方で、小さな子供ならともかく、ある一定の歳になれば「正義」という言葉のうさんくささにも気づいてしまう(気づかないひともいるんだろうけど)。ひとの数だけ正義があって、その正義同士が接触したときには大抵、悲劇(あるいは辛辣な喜劇)が生まれるということに。
正義がテーマでないヒーローたちは、こうしたところから生まれているんだろうとは思う。「いまどき、正義なんて」
けれど、ヒーローはやはり「正義の味方」なのだ。これは変わって欲しくない。かつてのヒーローたちが味方した正義は、決してイデオロギー的な意味での正義ではなかったと思うのだ。
ヒーローものの描く正義は、「自分ではない誰かの幸せ」と言い換えることができると思うのだ。
誰かの幸せのために戦う者、それこそが私にとってのヒーロー像だ。
そう定義してみると、自分が好きな作品がたいていその枠に当てはまることがわかる。
『デカレンジャー』も『シンケンジャー』もそうだった。そしていま『仮面ライダーW』が街に住むひとびとの幸せのために戦っている。
自分もヒーローものを作るのなら、このことを忘れちゃいけないんだと思う。

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