本日の戯言:twaddell

サイエンス・フィクションを愛する皆吉(ミナヨシ)のエッセイブログ。
漫画・アニメ・書籍・映画、レストラン、パティスリー等の感想を書いています。
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投稿者:Bubo
戦争が起きるかもしれない、という覚悟は、戦争にいくためじゃなくて、戦争を起こさない為に必要なもんだと私は信じるよ。
絶対起きないと思ってたら、防ごうともしないんじゃないか。
もしかしたら起きるかもしれないと思えばこそ、防ぐこともできる、と。
投稿者:Bubo
「自分に戦う覚悟があるかどうか」じゃなくて(そんな覚悟あるやついねぇよ)、言いたかったのは、
「もしかしたら、この平和な世の中では忘れがちな『何か』が、自分の生きている間にはあるかもしれない」という覚悟。
正式に「交戦状態」なところは、今はそんなにないけれど、未来永劫にないわけじゃない。可能性は身近にもある。その事実をどう受け止めればいいのだろう。今の平和に暮らしている自分たちに、その重い事実を受け止められる強さはあるだろうか?

戦争に限らない。広範囲を巻き込む事故、テロ、災害・・・

「やらなければならない仕事」は兵役だけじゃない。だれもやりたがらない儲からない、けど社会のために必要な仕事、3Kを筆頭にいくらでもあるしょ?
家族がそれをやりたいって言ったとき、個人主義が流行ってる現在では、ほとんどの人は止めるだろうけど、それって「あんたじゃない他の人にやらせなさい」と言ってるのと実質大差ないと思う。
それってどうなんだろう、ということ。
投稿者:皆吉
戦争の形態が変わっているし(ミサイル一発で何人死ぬやら)、なにより紛争はいっぱいあるけど正式に「交戦状態」なところって、そこまで沢山ないじゃない。
現代の「戦争」は、第2次世界大戦のときとは違う。
「いざというときは自分には戦う覚悟がある」とかいうマッチョな思想は苦手。
そんな覚悟こそ、奇麗ごとだもの。思想の時点で、戦えない・戦わない人間を差別してるじゃない。

ただ、覚悟について別の角度から考えさせられた。
たとえフクロにされても「うちの人は戦争には出さん!」と頑張れるだけの気概が、わたしにあるだろうか。
その場になったら日和見しそうだ、自信ない。普段でさえ、いい顔しぃだもんで。

ただ、戦争になったら、まず「戦えない人」が虐げられる。障害者福祉に関わる運動をしている以上、「戦争やむなし」とは絶対に思えない。兵役を「やらねばならない仕事」とは、捉えられないのだ。

http://green.ap.teacup.com/applet/desire/579/trackback#trackback463
投稿者:Bubo
現代社会で戦前のような生き方をする奇妙な婦人を通し、戦前の生き方、価値観の異常さを描いているんだろう。
それは分かる。
ただ、それとは別に、もう一つのことを考えてしまった。

今の世の中で、社会に、国に、世界に何か起きた時、家族を送り出せる家、あるだろうか。
今この世の中で、誰もやりたがらないが誰かがせねばならない類の仕事を、やる人はいるだろうか。
そして、家族の誰かがそういう仕事をしていることを受け入れ、それに耐えられるほど強い人は、どれほどいるのだろう。

皆が平和を享受している現代日本。
しかし世界は決して平和ではない。
近くでも、隣の国は知ってのとおりだし、最も親しくしている国は、必要とあらばいつでも戦争を始め、それを手伝えと言ってくる。
第9条は不戦を誓うものだが、他所から攻撃されたり、戦争に巻き込まれたりした場合についてまで考えられてはいない。
そういうことがいつでも起こり得る状況なのに。

平和ボケしてる場合じゃないんじゃないだろうか?
具体的に今から出来る事はないにしても、心構えくらいは必要なんじゃないだろうか?

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