団塊世代の私の生い立ちを振り返ると、このように思いますよね。もともと私自身は「異端」に近い人間でしたから、なおの事そう思います。
幼稚園や小学校へ通い始めた頃は、私は「元気な不登校生」でした。「帰ってきたぞ!」と両親がいる田んぼへ抜け出していました。
今日のTV番組「不登校」に見入りました。不登校に悩む子供と親。様々な経緯をたどりながら、それぞれの人生を模索しています。
学校では「勉強」が子供を評価する最大の要件です。団塊世代の私たちは、「勉強なんかくそくらえ!」がほとんどでした。それが通用していて、学校ではみんな楽しく遊んでいました。だから陰湿ないじめなどはあまりなかったように思います。
勉強に関心を持てない子供たちに、勉強以外で自立できるシステムを、政治が考えないといけないと思います。ドイツのマイスター制度のようなものは、古き私たちの世代には普通に存在していました。ドイツがそういうシステムを残し、日本は捨ててきました。
中学校を卒業する年ごろに、技術を学ぶか、進学するかを選択し、技術を手にすることを選ぶ子供たちには、生活が成り立つように、政治は考えるべきです。
不登校に悩む子供たちを見て、古き時代を、そして現在の政治の貧困を思い出しました。

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