少し母と私たち家族の出来事、
そして母の最期までを書いてみようと思います。
書き残したいなと思いました。
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うちの母と父はだいぶ前に離婚しています。
離婚して母の実家に引っ越しした日が
私の小学校の卒業式の日でした。
その日は色々手続きとか大変だったようで、
その卒業写真には母の代わりに母の妹が写ってます。
これを見るたびにあの日を思い出します。
父…なんて呼びたくもないあの男の為に、
離婚するまで母は本当に苦労し、傷ついたと思います。
私が生まれる前から父は浮気とギャンブルで借金、
家では私たち子供に虐待をするしょうもない大馬鹿人でした。
そんな環境のせいで姉は精神的な病を抱え、
母もストレスなどから若くして糖尿病になってしまった。
それでも母は明るくて、
今思えば無理しすぎなくらい頑張っていたなと思います。
そんな毎日から解放されるように
私の小学校卒業を待って母と私たち3姉妹は母の実家へ。
40歳過ぎの女性が一人で3人の子供を養っていくのって
特にあの当時は相当大変だと思います。
だから母の母、つまりおばあちゃんを頼って帰ったのですが、
私のおばあちゃんはわがままで、少し冷たい人だったため
2・3ヶ月でおばあちゃんに実家から追い出されたりして

色々あってなかなか精神的にもきつい生活でした。
そのおばあちゃんはといえば今でも健在で、
母が癌になって大変だった事も、
それどころか亡くなった事すら知りません。
とことん気楽人です。
そういう背景のせいか中学生の私は反抗期の代表のような輩でした。
今思えば、
母を支えてしっかりやっていくのが普通だとわかるけど、
当時のガキの私は自分の不安だけで精いっぱいで余裕がなかった。
せっかく父と言う苦労から離れたのに私が次の苦労の種になっちまったのね。
ごめんねって心から思ってますよ、本当にごめんなさい。
その後も相当たくさんの心配と苦労をかけました。
成人式だってそう。
母が知り合いから借りてきてくれた着物を嫌がり
自分で高価な着物を買っちゃったり・・・
写真の母はとても寂しそうな顔をして着物を着た私の隣に写っています。
大きく後悔してることのひとつです。
その時母はどういう思いでいたのかを母が亡くなった後で妹に聞きました。
虐待する父の事があってので再婚も控えたのだと、
やはり母が亡くなった後に妹から聞きました。
遺品の片づけをして見つけたものや、妹の話を聞いて・・・
本当に亡くなってから知った事や、痛感したことが多いですよ。
私は自分勝手だったし、いつでも自分の事でいっぱいいっぱいで、
無理して頑張っている母の表の姿ばかり見ていたかもしれない。
ずいぶん寂しい思いをさせたようです。
喜ばせてあげれた事は少ないけど、
母の定年退職の日に花をもって迎えに行ってあげたこと、
とても嬉しそうにしてくれたあの日の事は忘れられません。
母の想いとか気持ちとか、きちんと聞いて、
もっと色々な話をすれば良かった。
当たり前なのですが、母は私たちにとっては母ですが、
一人の女性でもあり、・・・・一個人なんですよね。
そんなあたりまえなことにさえ気づいてあげられませんでした。
自分のあほさに何とも・・・・

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