「怒りについて」 セネカ著,兼利琢也訳(岩波文庫)。
2008年に出た新訳版です。表題作のほか,「摂理について」,「賢者の恒心について」が収録されています。
セネカは,ローマの哲学者で,精神論の大家というか,へりくつっぽいところもありますが,現代でも十分に参考になる部分が多かったです。
「摂理について」
なぜ世界が摂理によって導かれているのに,善き人々に数多の悪が生じるのかというルーキーリウスの問いに答えたもの。
確かに,そういうことってありますよね。
これについては,セネカは,要約,鍛錬と思って耐えよ!神に見込まれているのだ!というスタンスです。
個人的に好きなのは,次の一節
「障碍を知らぬ幸福は,どんな打撃にも耐えられない。だが,絶えず逆境と格闘した者には,受けた不正で厚い皮が育ち,いかなる悪にも屈しない。倒れても,膝立ちで戦う。」(15頁)
我々も,倒れても膝立ちで戦うくらいの覚悟が必要かもしれませんね。鬼教官からのアドバイスという感じの一篇。
「賢者の恒心について」
本篇は,賢者はいかなる不正も侮辱も被り得ないということがテーマになっています。 「怒りについて」とも重なるテーマですが,侮辱を侮辱として受け取る必要はないということに要約できますかね。
「怒りについて」
さて,表題作の怒りについてですが,怒りに身を任せるようなことにならないようにしようということで,怒りのデメリットについて説明していきます。確かに,怒ることのデメリットは感じますね。
「怒りは,落ち着きのない性格の人間に劣らず,温厚で穏やかな人間にとっても危険である。」(199頁)
まさにその通りで,万人が注意すべき点といえるでしょう。
他にもじっくりと味わいたい部分がたくさんあります。
セネカ自身は,死刑について否定はしませんが,刑罰についての考え方としては,
「法律の守護者であり国の主導者たる人にふさわしい方法は,できるかぎり,言葉,それもかなり穏やかな言葉で人心を治療することである。」(98頁)として,ヒステリカルな厳罰主義とは一線を画しています。
「罪を犯した者を穏和な親心をもって監督し,彼らを厳しく追及するより呼び戻してやるほうが,どれほど人間的だろう。」(113頁)
確かにそうですね。
「何であれ偉大なものは,同時に穏やかなものにほかならない。」(129頁)
これは,額縁に入れて飾っておきたい。
「慎みには暇な時間がある。欲望はいつも多忙をきわめる。」(151頁)
こちらは,現代人に対する箴言ですね。
「支配されることを知る者でなければ,支配することはできない。」(154頁)
権力欲を持つ方々に。
「怒りに対する最良の対処法は,遅延である。」(174頁)
ちょっと時間を置くということが意外に有効であったりします。
「その上,他の情念が人間一人一人を捉えるのに対し,この情念だけは,しばしば単独で全体を侵す。」(193頁)
これは,怒りについて述べた部分ですが,好戦的な国民感情などを考えるとよく分かりますね。2000年近くも前に,こういうことが述べられていた訳です。
「われわれが私的公的を問わず,多くの仕事を,あるいは実力以上の難事を背負うのをやめれば,平静な境地が現れる。数多の世事に忙殺される者が,人からであれ,仕事からであれ,心を怒りへ向かわせる厄介事が何も起きずに一日を過ごせるような,そんな幸運に恵まれることはありえない。」(202頁)
デモクリトスの言葉として紹介される部分ですが,忙しすぎると短気にもなりがちです。
「怒りは多くの仕方で阻止しなければならない。たいていは戯れや冗談に変えるのがよい。ソークラテースは,拳固で殴られたとき,ただこう言って済ませたとのことだ。人がいつ兜をかぶって外出すべきなのか分からないとは厄介なことだ,と。」(211頁)
ソクラテスの言葉かどうかは争いがあるようですが,こんな具合にやり過ごせたら,かっこいいですね。
「他人のものを眺めると,誰でも自分のものが気に入らなくなる。」(246頁)
まあ,昔から言われていることですが。
それにつけてもギリシャ・ローマの古典はいつものように面白いですね。

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