「闇の奥」 コンラッド,黒原敏行訳(光文社古典新訳文庫)。
コンラッドという作家はストーリーテラーとして一級だ。本書は抽象的な記載を含むゆえに訳のあり方がつねに議論されてきた一冊で,他の翻訳を読んでいないから何ともいえないものの,個人的には読みやすかった。
本書は傑作だと思う。船乗りマーロウが語る,コンゴ奥地で出会った男の話。ちなみに,映画「地獄の黙示録」は本作を翻案したもの。
植民地時代を背景にしているために,コンラッド自体の思想的な視点からの議論もあるようだけれど,そういった時代がどんどん忘却のかなたに消え入りそうになっている現代から読めば,少しでもその時代を感じさせてくれる本書は,それだけで目を覚まさせてくれる貴重な一冊な気がする。
とはいえ,本書の価値はそういうところにあるのではない,マーロウが出会う原初の何ものか,それは近代化と植民地化によって全てが支配されようとする社会で,象牙という新規な価値,いわば資本主義社会の新たな財宝をめぐる物語の中で,全てに抗するかのように存在している何ものか,である。
当代のトレンドに乗り切れない,マーロウという無頼漢が,そんな気持ちを隠しながら,敢えて全く興味のない植民地的な西側の尖兵になって,先端に行く。
こういう立ち位置が貴重だと思う。そういう意味では,現代にこそ読まれる価値があるんじゃないかと思う。
商社の本社の不条理ともいえる不気味さと暗示も印象的ですね。本社の扉を開けると二人の女(やせた女と太った女)が黒い毛糸で編み物をしている。
全てはここから始まっていく訳です。
ストーリーテラーぶりについてはいつも賞賛しているのですが,描写の分断ともいうべき手法は彼ならではでしょうね。例えば,二人の女の描写についても,通常であれば一気に描写するところを,異なる時間軸を間に挟んで描写したり,クルツ氏との接触前の,矢による攻撃を受けた後で,後に判明したクルツ氏の描写に入り,またクルツ氏と接触前の攻撃を受けた時点に戻るといった意図的な分断は,映画的でもあり,斬新さを感じます。
マーロウの覚めた(冷めたではない)感覚は,ひたすらかっこよく,愛読書にしたい一冊でした。

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