今回のような事態を刑事事件にすることは何の解決にもならない。
結局,今回のような事態を取り締まることとしても,たとえビラが嫌な人でも,住居侵入にならない方法で配布されることを防ぐことは困難である。
例えば,郵送による方法が考えられるが,これを考えるならそもそも私的領域で政治的表現をされない自由の実現など不可能であることが分かる。
これを実現したければ,厳重な門を設けて誰も入れないようにして,専用の受付窓口係員を雇い,チェックした郵便物や許可を得た人しか入れないこととして,外出の時には(突然,デモンストレーションされるという事態を防ぐため)自家用車を用い,ショッピング等に行くときは,(演説をしている可能性や垂れ幕を掲げられている場合もあるから)耳栓にアイマスクを持ち歩くという,およそ社会から隔絶した生活をしなければならなくなる。
しかし,大概そういうことを考える人の生活を支えているのは,考えを異にする人たちから得たお金である。
大きな矛盾を感じる。
さらに加えて,ビラという表現行為をも規制するなら,少数派が自分の思想信条を訴えるなら平和的手段では困難であるという確信を深めさせてしまうかも知れない。
その結果暴力的な表現が蔓延するようなことになれば,結局社会にとってマイナスである。
なぜ表現の自由を憲法で保障したのか,その点の考察をよくしておかないと足もとをすくわれかねない。
結局,歴史を見てくれば分かるように,その時の主流の考え方が,時代を経過した後でも主流であるとは限らないのだ。

0