明日,また憲法の関係で仲間内で話をすることになり,最近ちょっと準備に追われていた。9条を考えるには,結構材料がいることが最近分かってきた。
まずは,国際的な視点。侵略戦争の放棄は既に国連憲章で採用されているので,9条との差異は,非武装を貫くかどうか。
9条を維持して,国連の充実という方策も選択肢としては現実的だ。国連には頼れないとか,機能していないとかの批判もあるけれど,以前よりは機能してきている。
単に武力を送れば問題は解決するという単純な議論では既になくなっている。このあたりのことについては,日本ではほとんど報道されない。
また,国際状況の問題。米軍との再編が議論されているけれど,米軍との一体化を目指すことが正しい方向性なのかどうかは問い直されてしかるべきだ。
本来は,アジア地域の安全保障を近隣諸国で協議していくことが必要で,場合によっては米政府をオブザーバー的に組み入れるという選択肢もありうる。
6か国協議もこういう枠組みの一つになりうる。他にもASEANとか枠組みはいくつかあるけれど,じゃあこういう問題にどこまで関心が払われているか。
さらには,軍事力の民主的統制の視点。シビリアンコントロールの話をすると十分にコントロールされているというけれど,果たしてそういえるかは現状では疑問。
少なくとも,制度及び意識としてシビリアンコントロールの思想が根付いているとは思えないことが多い。軍事を分からない者が口を出して,という雰囲気が未だ尾を引いている。これは,自衛隊が日陰者の地位を占めてきたという被害者意識も影響している部分があるだろう。
で,こういう要素を見てくると,一つの仮説が見えてくる。やっぱり,日本は島国なのだ。よく現状で侵略から日本を守れるのかとかいう扇情的な議論がされることもあるが,現実問題として海に守られた日本は元寇と連合軍から以外に侵略を受けた経験はない。ここにどうしても,外交面の弱さが出る。
で,こういう現状で軍隊を持って国際貢献をするといっても,やはり無理がある。なぜなら,国境を接する国との緊張関係をうまく緩和してきた政治的経験が乏しいから,紛争解決の主導権を握りにくいし,アジアとの関係においても島国とその位置関係からリーダーシップが取りにくい(これには,日本は一歩抜けている,アジアではないという意識もあるし,第二次世界大戦の負の遺産もある),加えてシビリアンコントロールの失敗による経験(意識)も比較的乏しいことから強大な軍事力を自らコントロールするモチベーションが働きにくい。
もちろん,こういった要素は絶対視すべきではないし,そういう日本だからこそ独自性を発揮できる場面もあるだろう。しかし,こういった要素があることも無視すべきではないのだ。だからこそ,そこらの平凡な軍事力を持った国と同じようなことを,この日本がしようとしても,そう簡単なことではない。9条を考えるには,そのあたりのことも意識する必要がある。

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