「猫谷」 花輪和一著(青林工藝舎)。マンガ。
花輪和一のことは,
「刑務所の中」で初めて知ったのだけれど,彼が普段どんなマンガを書くのかはよく知らなかった。で,ネットで検索するとかなりグロテスクなマンガを書いていることが分かった。いわゆる「ガロ」系のマンガ家な訳です。
そんなことを知って手に取ったのが本書。
短編が11収められている。最初は,えぐいなーと思ったのですが(それでも花輪作品の中ではそうでもないようです),だんだん作者のトラウマのようなものが見えてきてその手腕に唸らされました。
ウィキによると,花輪自身も幼少時代に虐待を受けたことを語っているようですが,マンガという表現手段は,彼にとってのトラウマ克服のための場だったのではないかと思わされました。
「猫谷」は,飼っていた猫の白が山の天狗のところに行く話。主人公の髪のぐるぐる模様に目を奪われるが,天狗が飼っているミミズクも主人公の頭をじっと見入っているのにはなんか不思議と笑顔が出た。これと更級日記をマンガ化した「萩」は,特にグロテスクなところもなく不思議な味わい。
「慈肉」は,なぜか動物的な仏様が捕らえられる話だが,この話では花輪節が炸裂し,グロテスクな仕上がり。一種中世のような街を舞台にしている点では,本書の短編は共通している。倒錯という意味では,「生霊」なんかも,なぜか顔に蝶々の幼虫をたくさん這わせたりと,倒錯の世界を表現します(「不倫草」では,妻は虫と出来てしまって家を出ている設定になっています。)。同様に,「へそひかり」の世界もシュール。この世界では,長者が幅を利かせていて,長者の持ち物であるという焼き印を押されることを住民たちは望んでいる。ぽっちゃりした女の子を出し,この娘が受ける不幸を描くのが花輪の手法でもあるけれど,この娘はまためったなことではへこまない。一種のスーパーヒロインでもある訳です。例えば,「ゆげにん」では,猫への生まれ変わりの実験のために絞首されることが決まっている少女がその運命に逆らうドラマです。
自分ではコントロールできない苦しみを描かせると,また花輪は冴える。「唐櫃の中」は,捨ててしまいたい唐櫃をなぜか捨てられない話。あー,何となく分かるな。これが「業」なのかもしれないな。同じく「ギボゴヤ」は,子どもができないために肩身の狭い妻の開き直りを描く。苦しみの解放ですね。苦しみからの癒しという意味では,「背中の国」も似ている。これも苦しみによって空いた背中の穴を癒す話が出てくる。
本作で最も感銘を受けたのは,「軍茶利明王霊験記」。妄想に悩まされる女が救済されるまでを描く力作。何というか狂気からの救いというものをうまく描いていると思う。
と,あまり期待せずに手に取ったのですが,意外に侮れないのであった。

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