12月15日(土)に
「ゆがわ村『米と文化の里』講演会」が開催され、せっかくの機会なので参加してきた。
村内外から
遺跡発掘・出土品などに興味のある人
約120名が集まった。
湯川村はいろんな
講演会を開催しているが、
村外の人も無料で入場できるのはありがたい。参加者の
半数近くが
村外の人だったという情報もある。
この日の講演は、
京都大学教授の
上原真人先生を講師に迎え、
「弥生・古墳時代の鍬と会津の鍬 −子孫になるのか他人の空似か−」と題して行なわれた。先生は日本列島における水田耕作の始まりにおける農具のうち、
耕具についてを主題として話を進めた。耕具には
人力耕具、
畜力耕具、
機械力工具に分類されるが、
機械力耕具は昭和も後半になってからのことである。まだ
50年の歴史に過ぎない。
畜力耕具(馬鍬)は、
古墳時代から
飛鳥時代(5〜7世紀)に徐々に普及して行った。
人力耕具は
鍬(くわ)と
鋤(すき=今のスコップ)と考えてよい。
弥生〜古墳時代の鍬は、柄の形態で
直柄鍬(柄結合鍬)と
曲柄鍬(紐結合鍬)に大別できる。また、鍬身の形態は
又鍬(先が割れているもの=フォーク状)、
平鍬(縦に長いもの)、
横鍬(横に長いもの)に分類することができる。また、
平鍬には、
狭鍬と
広鍬があり、
狭鍬は耕土を掘り起こす鍬(
打ち鍬=荒起こし用)であり、
広鍬は掘り起こした土を砕いたり混ぜたり引いたりする鍬(
引き鍬=代掻き用)である。つまり、この時期は
狭鍬と広鍬が
機能分化していたことになる。しかし、
古墳時代中頃、
風呂鍬と
馬鍬(畜力耕具)が普及したことにより、
機能分化は崩壊する。
広鍬を
代掻きに使う時に、使用者の顔に泥水が掛からないように
泥除(どろよけ)を装着していたという。この
講演のテーマとも言うべきものである。
弥生〜古墳時代に
泥除を装着していたこと自体が眉唾(まゆつば)ものであるが、
装着状態で出土されたものがあるのだから間違いのないことなのだろう。この泥除は長いこと
正体不明であったが、
装着状態で
出土(福岡市那珂久平遺跡)したことと、
民具や
近世農書との照合で
使用法・機能が確定(認定)したという。
弥生〜古墳時代の泥除は
木製であるのに対し、
近世農書に出てくる
泥除は
竹籠(たけかご)状である。ただ
会津の鍬には木製泥除があったという。
会津の民具資料は弥生・古墳時代の泥除に酷似するということだ。しかし、両者の間には
機能差と
年代上の断絶があり、必ずしも弥生〜古墳時代の
伝統を引く道具とは
断定できないらしい。
もっと不思議なことは、
古墳時代に泥除付鍬は姿を消してしまい、中世絵巻や古代・中世史料には泥除付鍬が出て来ないということだ。
民具として出てきたのは
17世紀ごろらしい。また、
民具の
泥除付鍬がきわめて
特殊な農具であるのに対し、
弥生〜古墳時代の泥除付鍬は
普遍的だった。さらに、民具の泥除付鍬が
荒起こし用なのに、
弥生〜古墳時代の泥除付鍬は
砕土・代掻き用だった。
上原先生は、中世絵巻や古代・中世史料には泥除付鍬がないことを含めると、
民具の泥除は近世以降の新田開発で新たに工夫された道具で、弥生〜古墳時代の泥除とは無関係なのかもしれないと結んでいる。
サブタイトルが
「−子孫になるのか他人の空似か−」となっていたのはこのことだったのである。
会津(金山町)の
民具資料が
弥生〜古墳時代の泥除に
酷似してはいるものの、弥生〜古墳時代の伝統を引く
“子孫”とは言いきれないのは残念である。それにしても、泥除の話題に、筆者の身近な
金山町が出て来て、
会津の鍬の歴史に
夢とロマンを抱かせるような講演であった。
次に、
財団法人福島県文化振興財団の
福田秀生先生による
「桜町遺跡発掘調査の成果」についての
報告会が行なわれたが、筆者は
所用のため途中で
退席せざるを得なかった。なお、3年前に
「桜町遺跡」の現地説明会に参加したことがあるので、参考にして欲しい。

村内外から100人以上の参加者があった講演会。

講演をする京都大学教授の上原真人先生。

上原真人先生をアップさせて頂いた。

2人ほどが質問したが、いずれも村外の方だったらしい。

弥生〜古墳時代の近畿地方における鍬と鋤の変遷概念図[上原1991]

下:平安期風呂鍬 金具(刃先)にはめる板の部分を
風呂と呼ぶ。

図を見れば、なぜ
「クワガタムシ」と呼ばれるか理解できるだろう。兜の鍬形(くわがた)(左)とU字形刃先(右)

金山町タゴシラエクワ(金山町教育委員会)。上の板がミズヨケ(泥除)。

只見町のマタタビ製泥除(福島県博物館)。民具の泥除は竹籠状が大半で、金山町の板製の泥除は珍しい。弥生〜古墳時代の伝統を引く道具であって欲しいと願うのだが…。

「桜町遺跡発掘調査の成果」を報告する福田秀生先生。
「ミスター桜町」の異名を誇る。

桜町遺跡のスライドを利用しての説明があった。

講演会のチラシ

0