お初にお目にかかります。
4年生(2度目)の恭ちゃんと言います。
どうぞ恭ちゃん先輩って呼んでください。
ブログの投稿は初めてなので、誤字脱字があっても怒らないでね。気をつけるけど。
3月27日に行ってきました。三次市布野町にある横谷小学校。
もう閉校になっているのですが、外観も内装もまだまだぜんぜん綺麗です。
ほれこの通り。
今回の移動動物園
参加メンバーは私とまっちゃん
来園者は『よもぎのアトリエ』さんが福島県から招待された親子連れ3家族の方々と、震災で広島に移住された3家族、それに地元の親子連れの方々でした。
子供達は一番上が小学3年生で、幼児がいっぱいの、全員で9人。
まず朝絵本牧場ごんぼに集まって、動物やプレゼントの絵本、柵を詰め込みます。
今回連れて行ったのは、やぎ、うさぎ、モルモットの3種類です。
モルモットは子供も一緒。
ヤギの子供も連れて行きました。
子供の名前は「なずな」。左はお母さんです。
小学校に着いたら、柵を立て、中にすくもを敷きます。
うさぎやモルモットを柵の中に離してやります。
モルモットのお母さんは出産で疲れてるから見るだけ。かごの中に入れときます。
ヤギは校庭に野放し。生え始めの雑草の芽をもしゃもしゃ食べとりました。
子供達はモルモットの赤ちゃんに夢中で、ふとした拍子につい片手で握ってしまうんですよね。
目が離せません。
昼食を食べたら、午後からは絵本タイム。
私もまっちゃんも絵本の読み聞かせを一冊ずつしました。
締めにたまご兄ちゃんを朗読する玉ねえさん。
あ、これはただの絵本でしたね。
ダンボール2箱分の絵本の中から、好きなものを持って帰っていいよ。というサプライズプレゼントだったんですが、みんな玉ねえに読んで読んでって、玉ねえ大人気でした。
真面目な話をしますと、玉ねえは東北の被災地へ絵本を届けると言う活動をされており、ファーマーズもそのお手伝いにご一緒したことがあります。
その頃私恭ちゃんはと言うと、精神疾患を理由に大学を休学、絶賛引きこもり中でした。
「病院なんか行きたくない」と布団の中で泣いて喚いて駄々こねている中、同級生や後輩は被災地支援へと赴いていたわけです。
それでも「大変だ」と部屋から引き摺り下ろされ、テレビで見た津波に飲まれる街の映像は忘れられません。
被災者の方々は肉体的にも精神的にも本当に辛い日々を過ごされ、得に福島の方は今も安心して生活できないという事態に歯がゆい思いで居られることと思います。
私はそんな方々に「頑張りましょう」とか「応援してます」なんて、軽々しく言えません。
テレビで見た映像は衝撃的でしたけど、その頃の私は自分のことで手一杯で、募金も何も支援できませんでしたから。
本当にお恥ずかしい限りです。
今回この移動動物園に参加したのも、大学に復帰して半年たち、そろそろ部活動にも参加しようと決意した時にたまたま部長からお話を頂いたからでした。
こんな情けない事情があるのと、このブログで個人の心情を言っていいものかと迷ったため、深くは触れなかったのですが、どうも逃げてばかりはいられないようです。
活動中も、動物と触れ合う子供達と、そんな子供達を見て和み、時に一緒にふれあいを楽しむお母さん方にスタッフとして接してきましたが、特に被災者と言う言葉は頭の中にありませんでした。事前に部長やら玉ねえさんから口が酸っぱくなるほど教えられていたのですが、私としては休学前にも経験した、いつもと変わらない移動動物園のつもりでした。
このブログの記事を書くにあたってこの日を振り返ったときに、ようやく「ああ、あの時の参加者さんの一部はもう福島に帰られたのかな」と思い、気の利いたことも言えなかった自分に気付いたのです。
そんな私ですから、本来あんまり偉そうなこと言えないのですが、ここは見栄を張って言わせていただきます。
人は生きている限り、いつでも可能性と出会い、選択を迫られます。
楽しみと出会い、悲しみと出会い、時に喜びの道を、時に辛い苦しみの道を選択します。
今回参加された方々と、自分と、その距離を繋ぐ誰かが選択したから今回の出会いがありました。
私は今回の移動動物園に参加して、とても良い経験をしたと思っています。
なぜならこの出会いがなければ、私は相変わらず、福島の問題に関心が薄いままだったでしょうから。
考えるきっかけをくださって、ありがとうございます。と参加者全員に頭を下げなくてはいけませんね。
さて、長話となってしまいました。
3月も終わりごろだったとはいえ、ジャージだけじゃさすがに一日外は寒かったですねえ。
皆様も作業には季節に合った服装で行くように注意してください。
恭ちゃんでした。

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