TAKAKOと言います。 昭和ド真ん中生まれ。 アナログな時代からデジタル時代にあっという間に移行してしまいましたね。 そんな時代の諸々綴っていきます。

許すって・・・考

2014/1/22 | 投稿者: takako

クリスチャン生活をしていると「許し」ということを良く言われる。




いやいや・・・スピ漂流時代にも「許す」ということは出て来た。




聖書的にはキリストが罪を許してくださったのだから・・・自分も人を許しなさい。と言われる。

スピだと・・・許さないと自分に跳ね返ってくる!みたいな感じかな。




教会だと許しの宣言を時々させられたり、スピだと流派によっては「解放のプログラム」みたいなものがあるみたい。




昨年ブレイクした「半沢直樹」

「やられたらやり返す!倍返しだ!」は流行語にも。




正直・・・私は心で許すと決めたこともあるし、不当なことでも黙認したことも多々あったけど、やられたら後からやり返す、というか言われたらなんらかのルートで言い返す。取られたら取り返す。ということも何度もやってきている。

このやりかたは間違ってはいないと思う。




以前とある人から聞いた話。

キリストは十字架で自分を処刑した人々を許した。と教えられているけど、キリストは「父よ彼らをお許しください。」と言ってるけど「父よ彼らを許します。」とはおっしゃってない。ということ。

厳密には聖書の原典を翻訳無しでよまなければニュアンスは分からないのだけど・・・。なあるほどな。とは妙に納得した。




言葉の綾になるかもしれないが、人である自分がキリストを越えて「彼らを許します」と宣言する必要があるのか?!と思うことがある。




宣言してしまえば、後から事実がついてくる。とも言うけど・・・。

そういう内面の感情に絡む問題に関しては、言葉だけが上滑りをして内面がついて行かないように感じられる。




それは一種のコントロールで、うまくいくとは限らない。

私も昨年、とある問題の雪解けを待ち切れず事を早く起こそうとある人に「許します」宣言をした。その時は信仰的な気持ちが満たされたが・・・べつに期待したことは、早まって起こることはなかった。

後日、神のなさることをコントロールしようとした自分の浅ましさを感じた。神の与えた時、その時には自然と許せたり問題が解決するのかもしれない。




許せない思いに蓋をして、無理に宣言して自分の感情をコントロールしようとしても徒労に終わる。




私の信仰している主イエスキリストは、私にそんな自己犠牲的な許しをすることを望んでいるのか・・・。

そんな方ではないと思う。




ちょっと言い方が悪いけど。

なんでも許してしまう気持ちの悪い人になりかかった自分がなんだか滑稽に感じられた。




許しは大切です。

でも雪どけは春が来ないと起こらないように、それも場合によっては時間がかかったり時を待つことが必要なこともある。そう思います。




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