アジサイのお寺  林とこころ

森づくりの研修の帰り、岩内の隣、共和町の明善寺に寄りました。

アジサイで有名なところです。お寺の門の文字が大きな桐の葉っぱで

見えなかったせいもありますが、往路は見過ごしてしまいました。

アジサイは500株ほどあると言われ、まだまだ盛りといったところ

でした。アジサイはしばしば溌溂とした気を発するような気がします。その気に

圧倒されることもありますが、明善寺のアジサイは、しとやか、

静謐、謙虚、といった感じです。誰もいなかったせいもあり、これなら

避難場所アジールのようだと感じたほどでした。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

雑木林&庭づくり研究室
http://hayashi-kokoro.com
0

2021年、新緑(2)  林とこころ

前回5月20日から5日たって、緑はすっかり濃くなりました。

が、ナラはまだむずかるようにウグイス色で開葉は始まったばかり。

山の先輩が雑木林に遊びに来て、とめどない歓談。

お昼は「そば哲」のギャラリーにて。

大いに喜んでいただき、アテンド、まずは成功。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

雑木林&庭づくり研究室
http://hayashi-kokoro.com
0

2021年、新緑  林とこころ


勇払原野の新緑がはじまり、日一日と緑が深くなっています。

例年、わたしが新緑のピークと決めているのは5月25日。

いろいろ思い返しても、どんなに気候が変動したように見えても、

紅葉の10/25 ピークとともに、ほとんど変動しません。

林道にベンチでもあれば、たたずむこと請け合い。そうでなければ

イスを持ち込んで、チェンリング、それがなければ座り込んで。

こんな折、地面に座って小一時間を捧げると、勇払原野の産土と

出会える予感がします。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

雑木林&庭づくり研究室
http://hayashi-kokoro.com
1

里山の風景  林とこころ

約10人前後で、ある町内会に隣接する雑木林で、ツル伐りから始まる

除間伐を行っている。まさに荒れた里山の手入れである。

荒れた林では、労多くして材は出ない。それでもポツポツと片づけた丸太が

見える。今朝、そうして作った1年前の薪を焚火風に燃やした。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します


雑木林&庭づくり研究室
http://hayashi-kokoro.com
1

自然崇拝と生態系保全  林とこころ

伐採跡地の再生の画像でブログを書きつつ、なにかパワーを感じる、と表現しましたが、
自然の風景の中に宗教的な、アニミズム的要素を感じ取る習性が私にはあるような気が
します。

私が考える自然保護はそこが原点になっていて、現場で感じることが学びや畏れの出発点近くにあるために、それが行動の動機になる、そうでなければ種や群落などの「貴重さ」という言葉に埋もれ、身の回りの自然や環境が他人事に終わるのではないかと危惧します。

平取でお会いしたアイヌの古老が、「あのあたりが聖地」と指さしたところが、私にも明瞭なパワースポットに見えていた驚きに繋がっています。同行したほかの人はフーンといった感じで、あれはインパクトのある体験でした。風景の中に時々スピリチャルなものを感じとるのです。


写真家の故・中村千尋氏に連れて行ってもらった樽前の奥地(写真左・H23/4)は、鳥肌が立つ霊感こもる一角でした。絵にはならない、五感でしか感じ取ることができない風景です。これはこの3月に訪れた熊野の神倉神社のゴトビキ岩(写真右)に通ずるところがあります。ここは何度も話に聞いてきた聖地なのに、崖のような急階段を股関節が受け入れられず、無念さをこらえ家人に写真を託したところでした。

これらはともに、守る以外に付き合いようがない、そんなところであり、振り返ればハスカップ・サンクチュアリあたりの湿原にも深い動機付けをされて、こころの原郷となって、今があるような気がします。

クリックすると元のサイズで表示します



クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します
雑木林&庭づくり研究室
http://hayashi-kokoro.com
0

晴林雨読の日々に埋もれて  林とこころ

久々に書き込みをします。

何もしていなかったのではなく、アジールという、日常から2ステップほどダウンした

深みが、我ながらあまりに異空間で、日常との乖離が大きかったようです。

リタイヤして丁度1年、晴林雨読の生活はますます磨きがかかって、

この冬用の薪の準備が終わり、今は追加の丸太を林道沿いの風倒木で作り

庭に運んで積んでいます。

昨日は霧雨の中、苫小牧市静川のフットパスの刈り払いをしながら、

30年以上前の林のセラピー感覚がもどり、そうだ、あの頃は美しい雑木林の

アジールを創ろうと決心したことを思い出しました。

そんなことをしみじみ思い起こさせるひとりの山仕事でした。

勇払原野の雑木林は、手入れすると美しいだけでなく、やはり癒し系であり、

霧のかかる一帯は森林浴の隠れ家的存在と申さずにはいられません。




クリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示します
雑木林&庭づくり研究室
http://hayashi-kokoro.com
0

ボストンの緑と日本の緑  林とこころ

BSの世界街歩きの番組でボストンが映し出されていました。

欧州から新大陸が移民して、その一部はアパラチア山脈の東側に吹き溜まり

それがボストンだと聞いたことがあります。ソローの森の生活もボストンの郊外でした。

わたしがある時、期特に関心を寄せたのはボストンの緑地率でした。

1970年代の統計でボストン市民一人当たり45uとトップクラスで、

当時東京や札幌は10u前後でしたので、あのころ世界の都市と伍するために

公園緑地を増やそうという国の施策がとられたのでした。いわば公園緑地バブルで、

人々の欲する緑の質をさほど議論し成熟することはなく、もちろん緑の哲学に

達することもなく、量的には増えました。「ボストンの緑」と検索するとこんな

画像が出てきます。

一方、「緑豊かな町」とすると、こんな日本のマチが出てきます。

ボストンと日本のそれは、都市緑地と田園・里山のようなニュアンスの開きを

わたしは感じますが、当方は人工的に美しく仕上がった都市公園よりも、

ゆるい緑に惹かれます。ニュージーランドでとてつもなく緑地率の高い住宅地に

行ってみましたが、わたしにはなんだか暗すぎました。

近くでは白老の温泉分譲地に緑の多い町内がありますが、

夏緑期は鬱陶しさを感じる人もいるはず。緑の快適さは理屈や数字ではなく

まさに感性と習慣によっていると言えます。クリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示します
雑木林&庭づくり研究室
http://hayashi-kokoro.com
0

グローバリゼーションの悪夢  林とこころ


ふだんは雑木林という一見のどかなテーマを通して世間と世界を見ていますが、近年ほど国際情

勢や政治と施策に首を突っ込んで、情報のシャワーを浴びざる得ないと感じることはかつてあり

ませんでした。そのために複数の配信ネットから有料で情報を取り寄せ、情報誌や書籍なども、

ギスギスしたものが多く読マサリマス。


今、世界は何が起きてもおかしくない状況にあり、最近は第3次世界大戦という言葉も聞こえま

す。そしてそれを裏付けるような今日の中東のニュース。日本の足元も中国からジワジワと尖閣

を狙われ、韓国からは捏造された情報発信で国連や国際会議周辺が汚染され続けたお蔭で、国民

の目もようやく変わってきたという噂もあります。特に韓国とのやり取りでは日本がいかに情報

操作に無頓着で放置し国益の守りに疎く甘かったかが示されて、政府もやっと本来あるべき方向

に舵を切りだしたことは、絵にかいたような不幸中の幸いでした。


ここで見えているのは行き過ぎたグローバリゼーションが先進各国の国益をいかに損なうかが明

白になったことではないでしょうか。しかし複雑化した国内外の関係性は、強力なトップでもそ

の一部のパーツしかハンドリングができない。だから大きな流れとして移民の絡む入管法、水道

の民営化、種子法、基礎的財政収支の黒字化目標、働き方や教育などなど、一連の改革という名

の改悪に歯止めが効かない。そもそも仕組みが次第にきわめて難解になって、ついていくことも

難しくなりました。


その一方で、公にろくに議論もされないうちに骨太の方針が固まるなんて言うのは全くおかし

い。この歳になって、出遅れたノンポリ老人は俄然目覚めてきたような気がしています。リタイ

ヤ後の晴林雨読生活は、かくしてますます充実の方向に向かうことになります。


雑木林&庭づくり研究室
http://hayashi-kokoro.com
0

勤め人生活を終えて  林とこころ

この6月末で、44年3か月の勤め人生活を終え、給金を伴う仕事というもののシバリが消えた。
恨みがましくシバリという言葉を書く割りには、やりたいことをやらせてもらった幸せなサラリーマン人生だった。

終わってみれば、お陰様で、と感謝申し上げたい事が山のようにあり、それに引き換え、無思慮で恥じ入るべき所業も数知れなく思い出されるので、それはしばらく封印して回想の玉手箱に入れておくことにする。

そうして、いよいよ、人生最大の収穫期と言われる白秋期を、名実ともに生きていくことになった。歳を取った一年生の気分である。
これからは、これまで切れ切れにしか味わえなかった念願の時間を、大手を振って過ごすことになる。

が、幸か不幸か、時間ができたころに身体の機敏性や体力が落ち、不具合も多くなり、かつて入れ込んだ山登りはもちろんとうにやめ、2艘のカヌーは売りさばき、フライフィッシングのロッドも部屋の隅に何本もただ林立するだけでいつの間にか帽子掛けになった。激しい動的な営みは遠ざかった。

そうしていよいよ残されているのは、平地林徘徊のウラヤマニストの生活で、美しい雑木林をめざしつつ、そのゴールは薪ストーブのある暮らしになりそうだ。

たかが雑木林であり、薪であるが、それは半世紀前に始めた山の日々に体得した焚火の延長としてあり、「雑木林&薪」を丸ごと堪能する薪ストーブのある暮らしが、デンと構えている。これは若かりし頃、考えてもいなかったゴールデンタイムだ。

林を見定め、抜き切りする樹木を決め、寒気の静寂のなかでチェンソーを駆使し、丸太を作り、薪にしていく一連作業。
このローテクの作業のサイクルの中に、わが白秋期の要諦があるように見えている


雑木林&庭づくり研究室
http://hayashi-kokoro.com
0

道東にて「安全」と「快適さ」思う  林とこころ

釧路への用務で釧路湿原の内外を車で移動している間に、目の前の湿原や樹林地、

やや放置されたような沿道植生はどう一言でまとめたらいいのだろう、そう思って

いると頭に浮かんだのが、「辺境」でした。


文明から一見取り残され、植生が適材適所に生育するところ。木は風と霧によって

こじれてもいるし、ブッシュにもなっていて、うら寂しく映る原野や、

水位が高くて踏み込めないようなところも多々。そこには道路などのインフラは

なく当然必要のない、いわゆる遊休地。殺伐とした風景は、どこか北方領土や

サハリンを連想させる。そこは今の日本人が住みたい土地には見えない・・。


それは自然度が高いという方もいますけれど、自然との共生など御免だと

放言している当方がもう少し別の言い方で極論をすると、そこには「安全さ」

と「快適さ」がない・・・。北海道の「辺境」には、雪に閉じ込められたら

ライフラインが寸断されるところも少なからずあり、不快昆虫を含む野生動物

と一体である。


では安全と快適さはではどこにあるのかというと、それは都市、都会、

あるいはマチ。ヨーロッパが城郭都市をつくった時のような堅牢な境界こそ

ないけれども、そこには不快なもの、危険なものを排斥した究極がそろう・・・。


釧路で行われたフォーラムをサポートし、そこで語られた東京一極集中と

人口減少対策の議論を聞きながら、わたしはそんなことを考えていた。

そしてその「安全さ」と「快適さ」に最も敏感なのは誰か。それは女性で

ある、と。だから20代、30代の女性は東京に吸い込まれていく、そしてますます

出生率は地方も東京も下がり、人口は激減を続ける。では、どうするのか・・・。


地方創生はそこの哲学にただりつく前に、いつも行く道=「地域おこし」に

ダウンしてしまった。社会基盤を大きく変えていく施策と同時に、遠回りでも

風土へのまなざしと哲学を外してはいけないと思うのに、それを引き受けて

くれている人がほとんどいない。

(画像は、釧路湿原とその界隈)

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します






雑木林&庭づくり研究室
http://hayashi-kokoro.com
0
タグ: 辺境 風景 快適さ

共生社会 日本  林とこころ

この半年余りの投稿の隙間にあったことは何かと思い出してみると、SNSからの

ほぼ完全撤退だったと言えます。ある小さな地域SNSの管理者だったことも

あって、mixi facebook twitter のメインストリームのほかに、各地のSNSにも

参加していたのが、ほぼ全面撤退して、かろうじてtwitterを良く閲覧している状況。


そもそも発信することとは何なのか、というあたりからして怪しくなって関係を切って

いるとさえいえます。俗に「つながり」といいますが、それはもうどうでもいいことで、

己のミッションのようなものにもっと絞り込んでいこうという考えに傾斜して

いるのでしょう。


冥想もやや深くなり、他人の評価に右顧左眄することなく、荘子のあの

「オクラズ ムカエズ・・・」の言葉が妙にしっくりする。そういう中でも

究極の関心事として浮かび上がってくることが3つ。


@苫東のヒグマ

いよいよ、ヒグマのコリドーが狭められています。それも工場が立地して空間が

ふさがれるということではなく、広大なネットフェンスが往来を阻んでいる。

一方、有人の、ある工場は外周のフェンスがないオープンスペースで、ヒグマは

以前から歩いてきたように芝生の敷地を横断しているようです。



人は今後、どう対処するのか、そしてヒグマはどう動くのか。緑地計画を変更して

コリドーを緑地にしてしまう方法は採れないか・・わたしの密かなが願望で

もあります。苫東の勇払原野は人たちのコモンズであったばかりでなく、

ヒグマやシカなど、大型哺乳動物、それから渡り鳥たちとの共有する

コモンズだったとこれほど痛感したことはありませんでした。


(写真は今年6月の足跡@静川と苫小牧市の出牧情報)


A樹木の再生する力と方法

雑木林状態をどのように継続的に維持するかは、目下の命題で、NPO活動も

そこに焦点を当てつつ、美しく人々も利用する場づくりを目指してきました。

雑木林の維持を念頭に置いて個人的に試行錯誤をしてきた結果、苫東の勇払原野は

どのようにしても樹木で覆われること、更新する樹種の違いと早い遅いの違いは

あっても基本は何らかの方法で次世代は引き継がれる、と考えるようになりました。


これは数十年に及ぶ苫東の日頃の定点観測の結果たどり着いた静かな見方ですが、

6月から伐採跡地の更新状況を調べるよう頼まれて観察しての結果でもあります。

大木になると萌芽力が弱くなって更新する度合いはどんと落ちますが、

実生がしっかりカバーしています。実生がなければシラカバなどが交代しています。


切っても決して裸地や砂漠に成ったりはしない。その風土の懐の深さには

改めて驚きます。有史以来、あるいは海が引いて陸地になって以来、

度重なる火山噴出物に覆われながらも植生が復元してきた勇払原野という

立地環境。貧栄養で物は育ちにくいここでも、ずいぶんと意外な取り柄が

あるものです。感謝、合掌


B林とこころ

昼休みに voice of America  を聞いていたら、キャンプが心身にとてもいい、

といっていました。公園の散策など一時的なものでなく、もっともっと長時間・・。

なるほど、それはそうかもしれない。10代の後半から30代前半まで、おびただしい

時間を、山や森で暮らした身で癒しの真っ只中のはずでしたが、その反面で将来に

対する不安で、決して心穏やかではない日々だったことも事実でした。


 パニック症になった40代前半のころから、林の意外な治癒力に気づき森林療法的な

林の恵みに関心をもって、挙句、「林とこころ」という本を出したのもつい

忘れていました。そうなんです、理想はもっと緑のそばにいるべきなのです。



それは治癒効果も期待できるのでしょうが、大事なことは自己内観、自分との

対話ではないでしょうか。この延長上に自分とは仮の姿で本当の自分(真我)が

神性をもってそばにいることを知る、それが林におけるもっとも大きな恩恵

だったような気がします。


それが加齢とともに行動範囲が小さくなり、運動能力も落ちてくるので、

エアコンの効いた建物の中から眺めるのでもいい、とまで思うようになります。

あるいは、最近のわたしのように、頑張って手に入れた薪という自然からの

産物を愛でるだけでも十分だと思えるのも、たしかなつきあい方でしょう。




今いるこの場と時間が、人間だけのものではないこと、土地や環境は本来、

共有されるべきものであり、かりそめに貸してもらっている、という認識のほうが

どうやら正しいようだというのも、人々はなんとなく気づいてきたのでは

ないでしょうか。








クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します

雑木林&庭づくり研究室
http://hayashi-kokoro.com
0

地域活動の後継者はいるのか  林とこころ

地域活動をしているNPOなどの団体にはよくアンケートが来て、レポートもいただきます。

そこにはしばしば、活動の悩みは何かという項目があり、答えとして「後継者がいない」

「活動資金が足りない」とするものが少なくありません。


苫東コモンズも後継者などは期待できませんが、所詮、継続する運命にはないと

割り切ってきました。立ち上げに2年をかけたころは、一人でしたし、高齢化して

徐々に前線から離脱するようになれば、いずれまた一人になりその前に活動は閉じる

かもしれません。あるいは一人で死ぬまでやっている可能性もゼロではありません。


気を楽にして来たのは、必要性を肌で感じ活動の動機がある人が自分で起こせば

よい、と思ってきたからです。最もやるべきで、やりやすい地点に立つ人が動けば

よいだけですが、仕組みができて共有されていないと、その人がいなくなった途端、

機能不全になるのは世の常。


それもまたごく自然の流れ。となれば、随流去(ずいりゅうこ)、流れに身を任せる

のが得策です。で、その前に一石を投じておくことがもしあるとすれば、地域モデル

になることです。地域モデルとは、誰からも中身が見え、賛同する人が多い

わかりやすい活動組織のこと。それは、ミッションが確然としていて、プレイヤーが

楽しくやっていること・・・。そうすれば延命の可能性が数%アップっするかも。


しかし、そうであっても、そうでなくとも、風土は残る。関われた幸せも消えない。

これで十分満足です。
雑木林&庭づくり研究室
http://hayashi-kokoro.com
0

青年寄宿舎と勇払原野  林とこころ

40年以上前、札幌の植物園前の寄宿舎で、少しペーソスの漂う、悲喜こもごもの、貧しい学生生活を共にした友人らが、昨年の晩秋、小屋にやってきた。取り立ててもてなす品々はないけれども、安着祝いのあと、葉っぱの落ちた雑木林を歩いて、暗闇のなか焚火を囲んだ。雨の予報だったから覚悟していたが、あにはからんや、雨は昼過ぎに上がって夕焼けと星空を楽しんだ。

酒のさかなは、やはり共有した思い出である。学年ではわたしより1,2年若い友人だが、共同生活だから、通り一遍の付き合いでは知りえない個人の心のひだも少しは読めるような仲になる。この日来た一人は、この人間模様を小説に仕立てて、ある有名な作家が委員長を務める文学賞で受賞したほどである。その主人公は、なんと山に登っていた時代のわたしだった、という話をかつてどこかに書いた思い出がある。

青年寄宿舎の悲喜こもごもと、寄宿舎に寄せる思いは『宮部金吾と舎生たち〜青年寄宿舎107年の日誌に見る北大生〜』(2013年北大出版会)にまとめられたが、今回小屋に集った者たちは、この出版に先立つ2,3年前に、寮の存続と廃止を描いたドキュメンタリー『百吟フロンティア』に登場人物として昔を語り、作品は東北で開催される世界のドキュメンタリー映画祭に出品された。2005年の話である。

監督は熊本出身で当時早稲田大学の院生だっただろうか、若き遠山昇司君で、その後メキメキ力をつけ、海外のコンクールで入賞している。

このドキュメンタリーのBGMは、貧しさのあまり大事なギターを売って、代わりに手に入れた壊れかけたギターの演奏と弾き語りで、演奏者はナント、わたしである。この映画のための演奏ではなく、今回のO君が、わたしの演奏を学生時代にこっそりテープに採っていたもので、掃除をしていたら出てきたから草苅さんにあげるよ、という実話(手紙)から物語は始まっている。

そのあと、『森と水の庭・ウトナイ』というドキュメントにも出演した。勇払原野の映像には不思議に縁があるようだ。そのころ、『林とこころ』の出版もしているから、あれらは勇払原野の産土(うぶすな)の導きではなかったか、と密かに思っている。


(ある画像を探すために、雑木林だよりを眺めていたら移植のこの記録が出てきたので、
時系列では相前後しますが、アップしました。)


クリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示します
雑木林&庭づくり研究室
http://hayashi-kokoro.com
0

苫東方式の提案  林とこころ

勇払原野の一角を占める苫東の緑地は、どう扱うべきか。長い間、官民の関係者の

間で懸案になっていたこのテーマについて、ここだけのオリジナルな手法を「苫東

方式」と名付けて、土地オーナーの緑地検討会において提案しました。

11月20日に開催されたもの。

広大な、しかも多様な植生を対象に、メリハリをもって、しかもアセスメントの

目的に沿った形で、最大限利活用することをめざすもので、地域参加の一環で

コモンズの概念導入も重要になります。植えない緑化や森づくり、近自然森づくり

など、林業行政とは一線を画したwordingになりました。


40p余りの資料を作った後に、まとめの言葉として何がいいかを思案した結果、

「適地・適木・適作業」という言葉を思いつき、締めのページのタイトルに

しました。会社にしてみれば、わざわざ手を染めるには面倒で、マンパワー的

にも不足している分野であり、かつ、ディベロッパーの業務としては傍系としか

見えない付加価値づくりですから、そのコーディネートなどやりたがらないし、

やるべき仕事ではないでしょう。こんなことをしなくても十分土地は売れている、

という現状もあるでしょう。


それでもなおかつ、プロジェクトの未利用の隙間を埋めていくためには、

やはり、多様な担い手をつなぎ、風土という社会的には共有の資源を、

一定のルールで活用していくというのが、道だ、と説いたわけですから、

経営者はドン引きしたかもしれません(熱心にお聞きいただいたのですが)。


経済の当事者と、風土をいとおしく思うネイティブは違うのです。

経済と風土保全の間にできる隙間は、コモンズを試行する者たちが分担する

必要があるとわたしは思うのです。


経営者が二の足を踏んでも、若手職員はこれから「苫東方式」の肉づけを

したい、と言います。なにか、伝わったのでしょうか。「地域開発」が地域の

社会的共通資本=風土に謙虚に、そして大切に扱うべきだという

ミッション性を、昔から感じていた同志なのか。個人的にはそう推察し、

これからも淡々とマイメソッド&「マイウェイ。

(画像はわたしの説明資料PPT)


クリックすると元のサイズで表示します
雑木林&庭づくり研究室
http://hayashi-kokoro.com
0

コモンズの悩み始まる  林とこころ

NPO苫東コモンズの懇談会で、Mさんが、「山のいつものフットパス沿いに

ボリボリが大豊作のところがあって、NPOのみんなに教えてあげようと

していたら、見知らぬ人に全部採られてしまった」「採った男に、このキノコは

ある人にあげるために、第1発見者のわたしがそっと残していたものだ」と

権利を主張したらしい。すると相手は、「山林は広いからまだまだあるよ。

心配いらない」みたいなことをうそぶいて林を去ったらしい。買い物袋二つの

ボリボリをもって。


 ついに来た。コモンズの悲劇だ。一定の広さの中に大勢が入り込むと、一人分の

分け前が減ってしまうというもの。これを邪魔されないようにするためには、

ある特定の権利をはっきりさせ(できれば登記)、縄を張るなり、警告を張り出して

公表せねばならないだろう。で、どうやって権利を認めさせる?誰に?

これが大変な話になる。


 なぜなら、コモンズは土地所有者の囲い込みをやめてもらって、不特定多数の住民、

地域の人々に開放するのが目的だった。フリーアクセスを認めてもらったのである。

「せっかく、わたしたちが手入れした林であるから、わたしたちにまず採取の優先権

をくれ」といっても、当初目的とNPOのミッションからみても、筋を通すのは難しい。


それなら、どうする。いつでるからないキノコを日々観察すればよい、ということに

なるだろう。まあ、そこで求められるのは第1発見者であり続ける努力だろうか。

これはつらい。でも正直なところ、これをするために、つまり第一発見者になって

独占するために人はしばしば林に行くといってもいい。 


地域の人々は、「近年、大島山林は、誰だか知らないが奇特な人(NPO)がいて、

いつの間にか林の手入れをしている。おかげでよくキノコが出る」という静かで

地味なうわさが広がっている、可能性が高い。


 話は戻って「見知らぬ住民のキノコ採り」、これはこれで実は悪いことではない。

ミッションから言えば喜ぶべきことなのだと思う。忘れてはならないが、わたしたちは

林の手入れのほかに、地域の人がキノコの食毒を見分けられるよう、食毒の判別会まで

サービスしているのだった。が、分け前が明らかに減る・・・。この割り切れなさに、

当分、自分で自分の首を絞めるような、気持ちをかく乱させられる人もいるかも

しれない。いよいよ、コモンズの悩みが始まった。
クリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示します
雑木林&庭づくり研究室
http://hayashi-kokoro.com
0




AutoPage最新お知らせ