宮部金五先生のエヘヘン(青年寄宿舎日誌F)  青年寄宿舎


寄宿舎OBの田端先生から、明治39年の寄宿舎日誌の書き起こし原稿と
コメントをいただきました。このようにコメントが挿入されると、実に
彼我の時間差を感じると同時に、逆に、舎生としての親近感が生まれるのが、
改めて実感されます。

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 明治39年(1906)2月26日

 月次会

(40行ほど省略)

 九、 宮部先生、以上の諸君の演説によりて今人生問題が心中に浮か
 べるは実に賀す べき事、如何に多くの時間を要して必ず各人考ふべき事なる事。
 朝倉君の退舎を悲しまれたり。
 右、終わるや時已に十時なりしかば之より茶菓の馳走あり。宮部先生には
 「みんな演 説がうまくなった事には感心だ、エヘヘン」と言って十時半
 頃帰らる。
 夫れより皆愉快に遊び、文学部委員より太陽問題を提出し結局太陽は廃止
 となる。
 其後には東洋学芸雑誌となる。
 十一時頃楽しく散会す。

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【コメント(田端)】

 この日の月次会、「演説家」は副舎長石沢達夫氏、退舎する朝倉君の
ほか六名の在舎生で、「人生問題」を論ずる「演説」が多く、其の内容
を少しずつ紹介している文が書かれ40行ほどの長めの記事になって
いました。宮部先生は人生を考えるのはよいことだ、「演説」もうまく
なって感心だ、「エヘヘン」と言いました。

「エヘヘン」がユーモラスで先生と舎生の関係の「ホノボノ」感が感じ
られました。

「太陽問題」は総合雑誌『太陽』の一般的な評論を購読するのを何か
ほかの雑誌に変更するかどうかと言う問題のようでした。結論は
『東洋学芸雑誌』に変更すると言うことになったようです。この雑誌は
北大図書館の宮部金吾文庫の内に所蔵されています。このころの目次を
見ると菊池大麓「教育に関する勅語英訳」、ヴァイスマン講述「進化論
講義」の連載、長岡半太郎「蛍光、燐光及び類似現象」、斉藤賢道
「東亜細亜の有用発酵菌」などの「論説」等が掲載されている雑誌でした。

評論でなく「学芸」を、と考えたこのころの舎生諸氏がしめした知的
気概に好ましいものを感じました。しかし、まもなく同年6月30日の
記事には「東洋学芸雑誌を廃する事を決議す」とあったので挫折も免れ
ないものだなあ、とも思いました。


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