奥深い山で憩える胆力、あるいは能力  林とこころ

釣友・川仙人に誘われフライロッドをもって早春の沢を歩いてみた。雪解けの増水はまだまだ続いているが十分歩ける状態だった。葉っぱのない森はそれはそれでものすごく気持ちがいいものだ。そこを、水しぶきをおこしつつ水が流れる。両岸がところどころ岩壁だったり、川床も岩盤だったからゴルジュ(細い廊下)状態が続いて、わたしたちは大地の割れ目をたどっているみたいだった。
 
 ヒグマが棲む環境に入り込んでいるわけだけど、この頃はクマスプレーを持参しているせいか、かつてのようなビクビク感はなくなった。それだけでなく、恐らく加齢にともなった安定とか落ち着き、そして図太さもあるだろうというのが近年の実感だ。昔の人なら、そりゃあ、胆力というもんだ、と言いそうな気もする。50歳を越えるころから、こわいものの対象が変わって、自然が大分近いものになっている。一体になる。という意味も体が知りつつある。だから、奥深い山で憩える。若いころは決してこうはいかなかった。平均寿命の折り返しを過ぎて、ああ、自分も自然にかえる日が近づいているんだなあ、とか思うのだ。

 多様な生き物とともに大地の割れ目にいて、心が安らいでリラックスしている。早春の広葉樹林はそんな幸福感を増幅してくれる
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