わたしたちの空白と文明の乗り換え  コミュニティ

ちょっと興味深い本を読みましたので抄録してみたいと思います。広井良典著(ちくま新書)「コミュニティを問いなおす」、副題は「つながり・都市・日本社会の未来」。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜さっそく引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【日本における文明の乗り換えと普遍的価値の空白状況】
紀元前5世紀前後の「精神革命」を契機に、そうした「普遍的な思想」が地球上の各地域に広がっていき、その”リージョナルな住み分け”がなされたと述べたが、日本についてはどうか。日本は東アジアにおける「仏教・儒教圏」の辺境に位置することになり、そうした普遍的な思想と、ローカルな自然信仰(後に神道と呼ばれるようになるもの)を混合させていったことになる。(こうした在来信仰と外来の普遍的思想の混合というパターンはヨーロッパ、アジア等を含め世界の各地域において広く見られる)。

しかし明治期以降、欧米列強の進出に直面する中で、日本は西欧近代の思考枠組及び技術へのいわば「文明の乗り換え」を行った。しかしその基盤にある価値原理(キリスト教)は受容せず、かつ江戸期までの(仏教・儒教の)価値原理はおおかた捨象していったため、ここに”普遍的な価値の不在”という、目にみえにくい、しかし深刻な事態が生じたことになる(もちろん明治政府はそれを天皇を中心とするナショナリズム的な価値原理によって置換・統合しようとしたわけであるが)。

さらに第2次大戦の敗戦により、そうしたナショナリスティックな価値原理も否定されることになり、戦後の日本社会は文字通り”価値原理の空白”に置かれることになった。その結果、戦後の日本人にとって事実上”信仰”と呼べるような絶対的価値になったのは、他でもなく「経済成長」という目標であったといえるだろう。
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ここのあたりは、どこかで繰り返し聞いたり見たりしたオボエのあるストーリーかもしれません。そして、価値観の欠落という、なんとなく虚ろな思いをいだきつつ迷いながら歩んでいた、というのがわたしなど凡人の日々だったような気がします。

しかし、その虚ろな陰圧のおかげだったかはわかりませんが、野外体験のさなかに自分の中にアニミズム的なものへの反応資質がしっかり眠っていることに気づきました。おそらく、育った風土が心身に埋め込んだ原初的なモノだったのではないかと思われます。古い因習の中で育ってきたわたしには、このような体験は親しみもあるものでしたが、どうでしょう、世代が若くなるとこの遺伝子はしっかりと働くのでしょうか。

次に定常化が出てきます。定常化とはある発展のあと成熟期に入ってベクトルが横ばいする時代を指していて、今、その3回目の定常化にある、と指摘します。定常化の節目には必ず新しい価値軸が生まれてきた、と言います。さて、では、今回のキーワードはなにか。


〜〜〜〜〜〜〜ふたたび引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【コミュニティと時代構造】
(話を)まとめてみよう。…人間の歴史が3度の「拡大・成長」と「定常化」のサイクルを経てきたという議論を行ってきた。この場合、そもそも両者を分かつものは一体なんだろうか。また「コミュニティ」との関係はどうか。

つまるところ、狩猟段階−農耕段階−産業化段階それぞれの前半期をなす拡大・成長の時代とは「人間と自然」の関係が大きく変わる時代ーーーより明確には、人間が自然からエネルギーを引き出す様式が根本的に変化し、自然を”収奪”する度合いが増幅する時代ーーーであったと言える。

これに対し、各段階の後半期たる定常化の時代とは、資源制約の顕在化やある種の生産過剰の結果として、人々の主たる関心が「人間と人間」の関係あるいは「人」そのものに移り、自然の新たな収奪や物質的・量的拡大という方向ではなく、個人や文化の内的な発展あるいは質的深化とともに、「ケア」、そして(人と人との関係のありようという意味での)コミュニティというテーマが前面に出る時代となる。

同時にここでは、本章で述べてきたような新たな価値原理の追究が課題となる。これはわたしたちが生きるこの時代において、「コミュニティ」というテーマが大きく浮上するいわば第一の文脈であり、その”人類史的次元”とも呼べるものである。…
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出てきたキーワードはコミュニティでした。コミュニティの使われ方は今日、地球をコミュニティと称するまでに変容しているので、意味合い・使われ方は従前とは異なってきますが、それはともかくとしてもわたしたちが慣れ親しんで日常の置かれた場(コミュニティ)と同じ言葉であることに、どこかホッとするところがあります。曲解になると思いますが、グローバルに巡り巡って、たどり着いた場所の重要な点がローカルだった、という理解をわたしはしておきたいと思います。

そう見てくると、今わたしが体験している「非貨幣的な価値」というものや、コモンズという概念が、別の顔を覗かせて見えてくるということもあります。




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