宮崎アニメの背後にあるもの  社会

「宮崎アニメの暗号」青井汎(新潮社)を読みました。

宮崎駿のアニメ、特にもののけ姫に象徴される不可解さは気になっていました。

ひとつは、手塚治虫がそうだったように、自在に描けるツールをもつと宗教性の高いものに惹かれて行くのだろうか、と手塚の火の鳥やブッダなどを見ながら思っていたものです。

宮崎は、「たたり」を間において、人間の、自然のシステムや森羅万象に対する暴力を戒めるような描きぶりになっている。そこには自然対応の正義がゆるがないであるように思うが、それは彼の信念なのでしょうか。

しかし、わたしはその結論に、すこし教科書的なものを感じます。その教科書を描くために、陰陽五行や宮沢賢治や日本や世界の神話が下敷きになっている。だから、どこかで見たことのあるような肌合いも生まれる…。

著者は宮崎作品に隠されている仕掛けを仮説として取り上げて見せる。しかし、暗号を解いて見せたようにみえて実はほとんど見えてきません。だからなにもすっきりしない…。

恐らく、暗号は調味料であり、実態がないエンターテインメントだからではないのでしょうか。宮崎の深み、などという深読みがあまり意味がない様にも思うのです。

要は、アニメという万能に近い表現ツールを手にして、もっとも今描ききれなかった、遠くて近い世界を描ききったということではないでしょうか。


雑木林&庭づくり研究室
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