里山の底力をみる  林とこころ

3年前に、精神科医のTさんと始めたこのフォーラム11/26が、なんと6回目になりました。フォーラムの初回からのテーマを列記しますと、
■第1回  2008/11/29 sat @北大苫小牧研究林
『身近な森の中に自分の居場所がある』
■第2回  2009/06/22 sat @北大研究林
『林と繋がるメソッドを学ぶ』
■第3回  2009/11/08 sun @錦大沼
『山・森・湖の「息」を聴く』
■第4回 2010/07/03  @白老ポロト休養林
『花鳥風月に白老の「気」を探して』
■第5回 2010/11/06 @安平町大島山林
『神々の棲む林が子供のこころ&体を育む』

となります。眺めてみると、一見して普段言い慣わされた科学的な言葉遣いから、ちょっと逸脱しているのを感じられるかも知れません。が、それこそ、わたし達がもっとも目指したかった核心部になります。つまり、森林とのメンタルなつきあいを柱に、感性をフルに動かしてつきあおうとか、自然が発する気と自分の気を同期させるにはどうするのかとか、花鳥風月を情緒で感じ取ろうとか、ともすると霊感まで援用するようなとにかく森林や自然を既成のオブラートではなく、感覚を開放してピカピカの感性で向かい合ってみよう、そんなメッセージをずっと出し続けてきたつもりです。

 今回11/26は、今までのような、その道のメンターをお呼びする方法を止めました。講演のような形は、人と森林の橋渡し役が介在し、結局「ガラス窓の外の森」とつきあうことになりかねません。講演ではなくて、参加者お互いが、雑木林で感じたことをつぶやきのようにトークする、言い換えれば、雑木林と里山的雰囲気そのものを主役としたライブ、そこで直に感じる接触感が大事ではないのか。どうもそれで十分ではないのか、と個人的に思い始めていたのでした。

そこで出てきたのがこのようなシナリオ。『〜 歩く、風の音を聞く、焚き火する、食べる… 〜 ただただ、林を感じる新里山の過ごし方』でした。古い時代のよき想い出として語られる「里山」や「雑木林」とは、実際、どんな風情でどんな風に営まれていたのか。それが、わたしたちのこころや体に知らず知らずにどんな風に効いていたのか…。今回のフォーラムは、その環境にただ身を置いてみること、そこにフォーカスをあてることにしたのでした。

定員を10名近くオーバーした総勢30名のいぶりの雑木林ライフは、そんな思いを下地にして、苫東のわたしたちNPOのフィールドである小屋周辺で展開されました。ゆるやかに集合(10時ころ)して、適当に三々五々散会するという風にしましたところ、乳児を含む5人家族のIさんは、余市から11時頃にみえました。そのころは、おおかたが散策から戻り、札幌からの参加者を含めもう小屋周辺のあちこちで、思い思いの手仕事とおしゃべりが始まっていました。そんなゆるさがここのいつもの流儀です。
今回は、T先生とわたしというフォーラム実行委員会(いつもたった二人)に、NPOの3人に応援を頼みガイド兼ホスト役になってもらい、下記の8つの過ごし方メニューを用意しました。

 ■フットパス散策(草苅)
 ■枝オブジェ制作(inaba)
 ■薪割り、薪積み(oyama)
 ■森療時間(瀧澤)
 ■落ち葉のプール(安保)
 ■焚き火(草苅)
 ■薪ピザ(inaba、草苅)
 ■枝クラフト(oyama)

 で、雑木林ライブはどうだったのでしょうか。アンケートなどをしなかったので真相はわかりませんが、聞こえてきた感想を総合すると、「十分楽しめた」「葉っぱの落ちた雑木林の魅力を発見した」「里山の潜在力を感じた」など。主催者としてふり返れば、NPOになる前も含めてこの一帯はこれまで多くの子供を受け入れてきましたが、子供たちと雑木林が本来、こんなに親密だったかと改めて思わせる光景が一杯でした。枝を削るクラフトに没頭する子供には感動しましたが、その子供にカッターを黙って使わせてくれる母親も立派です。帰り際、その子はきれいに皮をむいた枝を手に持っていました。以前、5歳ほどの女の子がアマガエルを引き裂く(ムゴイ!)のを停めないでやらせていたお母さんもおいででした。まさに、そんなながれがあちこちで進んでいきました。落ち葉のプール、おがくずのシャーベット、木登りなど。

子供たちだけではなく、普段、もっと緊張感のある大人も、林の中では目じりが下がっていました。こころメーター(アミラーゼモニター)などつかわずとも、入林前と1時間後の顔写真を撮って目尻の下がり工合など表情を比較するという原始的な比較方法も面白いと思わせます。一方、男女を問わず、薪割りは見てる方が実は冷や冷やです。そんなこんな、里山的暮らしがたくさんの手仕事を待っている、その真ん中で里山を疑似体験した形になります。それは「身近で快適な雑木林」「手自然の里山的雰囲気」であり、そして迎える林と人々との間に誕生する「つながるスポット」のようなものがありました。

もういちど、それでどうだったのでしょうか。
ケアを開始して20年ほどになるこの雑木林では、里山の雰囲気が主役になれること、講師がいらない自然体験であること、そして忘れてはならない大事なこと、そのひとつは、子供達は里山的素材の中で天衣無縫の振る舞いをすることです。森の幼稚園をみた時の感動とそっくりと言って良いかもしれません。「そうか、子供は里山を待っていたんだ!」。そんな気すらします。

そしてもうひとつ大事なことは「焚き火」。陰の主役は焚き火になるのではないか、と予想していましたが、案の定、焚き火はにわか作りコミュニティのずっと中心でした。そこはたいてい、人生の知恵袋である長老達の居場所で、若い者が外遊しては戻ってくるたまり場です。

これらをトータルしてふり返ってみるに、雑木林そのものをメンターに切り替えた今回のフォーラムは、わたしたちの里山日常そのものが人びとに提供できる(もてなすことができる)潜在的で魅力的な雰囲気を持っている場であることをはっきり意識することができました。また「こころのフォーラム」はこれからこのパターンを基本にしよう、という決心もつきました。そういう意味で、2011年11月26日は「新しい里山記念日」になったように思います。あえて次の一手を述べさせてもらえば、この場を生み出すのは、人のケアであること、そして地域の林は、誰の所有であれ、大なり小なり人のケアを待っていること、そして「業」が成り立たないのであれば、「新しい公」の旗を挙げるなどして住民自らが担い手になるしかない、ということです。

加えて、都市にあって身近に作られた都市公園ではなく、より自然度が高くかつ安全な里山的自然がよりリラックスができ老若男女の心身の健康にとてもいいから、これからの高齢社会における意味はそれだけでも大きい意味を持つはずです。さらに生意気なことを言えば、そうして地域に軸足がつながると、自分がグローバリゼーションの対極に位置しているのではないかという不思議な幸福感に気付きます。地域に住むプライドというものがそこで滲(にじ)んでくる、とわたしは考えるようなりました。 クリックすると元のサイズで表示します
雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/commons00.html
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