道東にて「安全」と「快適さ」思う 林とこころ
釧路への用務で釧路湿原の内外を車で移動している間に、目の前の湿原や樹林地、
やや放置されたような沿道植生はどう一言でまとめたらいいのだろう、そう思って
いると頭に浮かんだのが、「辺境」でした。
文明から一見取り残され、植生が適材適所に生育するところ。木は風と霧によって
こじれてもいるし、ブッシュにもなっていて、うら寂しく映る原野や、
水位が高くて踏み込めないようなところも多々。そこには道路などのインフラは
なく当然必要のない、いわゆる遊休地。殺伐とした風景は、どこか北方領土や
サハリンを連想させる。そこは今の日本人が住みたい土地には見えない・・。
それは自然度が高いという方もいますけれど、自然との共生など御免だと
放言している当方がもう少し別の言い方で極論をすると、そこには「安全さ」
と「快適さ」がない・・・。北海道の「辺境」には、雪に閉じ込められたら
ライフラインが寸断されるところも少なからずあり、不快昆虫を含む野生動物
と一体である。
では安全と快適さはではどこにあるのかというと、それは都市、都会、
あるいはマチ。ヨーロッパが城郭都市をつくった時のような堅牢な境界こそ
ないけれども、そこには不快なもの、危険なものを排斥した究極がそろう・・・。
釧路で行われたフォーラムをサポートし、そこで語られた東京一極集中と
人口減少対策の議論を聞きながら、わたしはそんなことを考えていた。
そしてその「安全さ」と「快適さ」に最も敏感なのは誰か。それは女性で
ある、と。だから20代、30代の女性は東京に吸い込まれていく、そしてますます
出生率は地方も東京も下がり、人口は激減を続ける。では、どうするのか・・・。
地方創生はそこの哲学にただりつく前に、いつも行く道=「地域おこし」に
ダウンしてしまった。社会基盤を大きく変えていく施策と同時に、遠回りでも
風土へのまなざしと哲学を外してはいけないと思うのに、それを引き受けて
くれている人がほとんどいない。
(画像は、釧路湿原とその界隈)





雑木林&庭づくり研究室
http://hayashi-kokoro.com
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やや放置されたような沿道植生はどう一言でまとめたらいいのだろう、そう思って
いると頭に浮かんだのが、「辺境」でした。
文明から一見取り残され、植生が適材適所に生育するところ。木は風と霧によって
こじれてもいるし、ブッシュにもなっていて、うら寂しく映る原野や、
水位が高くて踏み込めないようなところも多々。そこには道路などのインフラは
なく当然必要のない、いわゆる遊休地。殺伐とした風景は、どこか北方領土や
サハリンを連想させる。そこは今の日本人が住みたい土地には見えない・・。
それは自然度が高いという方もいますけれど、自然との共生など御免だと
放言している当方がもう少し別の言い方で極論をすると、そこには「安全さ」
と「快適さ」がない・・・。北海道の「辺境」には、雪に閉じ込められたら
ライフラインが寸断されるところも少なからずあり、不快昆虫を含む野生動物
と一体である。
では安全と快適さはではどこにあるのかというと、それは都市、都会、
あるいはマチ。ヨーロッパが城郭都市をつくった時のような堅牢な境界こそ
ないけれども、そこには不快なもの、危険なものを排斥した究極がそろう・・・。
釧路で行われたフォーラムをサポートし、そこで語られた東京一極集中と
人口減少対策の議論を聞きながら、わたしはそんなことを考えていた。
そしてその「安全さ」と「快適さ」に最も敏感なのは誰か。それは女性で
ある、と。だから20代、30代の女性は東京に吸い込まれていく、そしてますます
出生率は地方も東京も下がり、人口は激減を続ける。では、どうするのか・・・。
地方創生はそこの哲学にただりつく前に、いつも行く道=「地域おこし」に
ダウンしてしまった。社会基盤を大きく変えていく施策と同時に、遠回りでも
風土へのまなざしと哲学を外してはいけないと思うのに、それを引き受けて
くれている人がほとんどいない。
(画像は、釧路湿原とその界隈)





雑木林&庭づくり研究室
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