*****「若者の興味、驚き喜び、探検隊に微笑みを〜〜」*****

<玄関の前にて記念写真>
自然溢れる南牧村は、昔のままが活き継いでいる村なのです。小中学校の教育も地域密着型で、家族ぐるみが活きています。私の5人の子供達が育った頃は、磐戸小学校、中学校が隣同士にあり、PTAも磐戸小中合同PTAでした。保育園もすぐ傍です。今こそあちこちで小中一貫校を盛んに奨励していますが、昔ながらの教育は、「子は宝」地域ぐるみで育ててこそ、いい教育が出来るのだと思います。今では時代と共に仕方ないのかも知れませんが、南牧小、南牧中と地域は別々…。
けっこう面積の広い南牧村は尾沢、月形、磐戸の3地区で成り立っていました。その賑やかだった昔ながらの生活用具(箱御膳の時代も近かった)や測量器機、商売道具、学校資料などなど、歴史文化が一同に見られるのが、旧尾沢小学校を村で管理し歴史資料館的に建物はそのままで、教室に所狭しとあらゆるものが展示されています。必見です。
南牧村のHPでは、これだけです。
「民俗資料展示室」
http://www.nanmoku.ne.jp/kanko/minzoku/index.htm
まずは、そこへ高経大からやって来た南牧村探検隊の皆さん一行を連れて行きました。これまでのいきさつは下記の通り。
南牧探検隊来たる〜〜@
http://www.burat.jp/members/writerblog/entry_disp.200609201200-0010084.200609201317-3000010.200907230416-3000067
こちらの方面は「絹の道」と言われるほど、養蚕農家が盛んでした。それらに携わる機織機や桑積みの用具道具、畑の開墾の農機具、山の起伏の多い山間地ですから、段々畑に石垣積み、山の雑木に楮(こうぞ=和紙の原料)が多いため、和紙産業も盛んで、カズ蒸しなどといい、大きな釜や桶など、生活に密着したものが多く展示されています。
産業としては砥山があったため、刀を研ぐ「砥石」は徳川幕府献上品として、南牧村からのを江戸に運び入れ、その名をを誇って居り、他所の国からどんな良い石が出ても、一番に天下御免に値する品物だったと聞いています。(別でまた書きます。)
地元の知っている小林さんに説明してもらいながら、一生懸命見聞きする姿に、若者の頼もしさも感じました。生きていた動物の剥製などもたくさんあり、興味持って写真撮り。
中でも少年時代に遊んだメンコやビ‐玉、面白そうに、眺めていました。時代と共にタイムスリップ。ところどころに笑みがこぼれ、和気藹々の探検隊に、何だか微笑ましさも感じました。星尾地区で、地元の祭りに諏訪神社の「御柱祭り」が6年に1度今も続いています。来年で柱が50本目なので、300年は続いている事になります。その総代をやる小林さんなので、その説明もして貰いました。3階には、お雛様や、写真展、戦争の衣服や提灯、ホントにあらゆるものが展示されており、私から見ても改めて感心するものばかり。南牧村って凄かったんだなあと思います。星尾地区は養蚕農家も多かったため、住宅遺産で重要文化財にしてされている地域です。
資料館の後に、記念撮影をして南牧村の神秘の世界へご案内。
「癒される神秘の滝へ〜〜」
http://www.burat.jp/slowgraph/photoworkAction.do?photoid=200907151003-4000001&select_theme=&advise_keyword1=&advise_keyword2=&keyword=&searchDate=&areaid=4
その喜びの様子は写真でご覧下さい。

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