*****「この紋所が眼に入らぬか?ハハア〜〜」*****
(遅ればせの記事で申し訳ありません。)
時代劇に出てくるような?古文書の束??凄いです。南牧村は凄かったんだあ〜〜と改めて感じる瞬間でした。南牧村探検隊のご一行を引き連れて、まずはぶらっと隊出来てくれた時に名田さんが興味を示してくれた砥石の件…カメラマンの金井さんをご案内した砥山の跡地の絶壁を見せに連れて行きました。

「砥山の跡地・・勿体無い」
http://www.burat.jp/members/writerblog/entry_disp.200609201200-0010084.200609201317-3000010.200709212310-5000072
それからその砥石関連の事業を一手に引き受けていた浅川家(現在:浅川禮太郎氏宅)にお邪魔して、砥石の歴史や色々な「古文書」を見せて貰いました。『神戸さんが来たんじゃあ〜〜』と、裏の立派な蔵から、大事なものを出してきて用意してくれていました。
『すげえ〜〜』
『正に古文書!これが当時の砥石かあ〜〜』
** 驚きました。**
凄いです。南牧村の財産です。徳川幕府献上品だった“砥沢の砥石”こそが【南牧村】の守らなければならない伝統文化が活き継いで居たんだと、確信させられる瞬間でした。活かさなければ勿体無い…素晴らしい文化の財産・南牧の名産・・・なんだと気付かされ、ただただ感心するばかり。古文書は<文久>とか?<元久>とか?毛筆の手書き書そのものに、取引状況や賃金のやり取りのような?実際の商いの記録です。
部屋の額縁には「昭和天皇来村の記念写真」や、砥山神社での祭事式典記念写真・・・など、ありありと残っています。
当時は日雇い労働者が多く、採掘場があり、多くの今で言う勤め人が行き交い、物流の盛んだった様子が伺えます。「砥沢市」などもあり、もの日には賑やかなものだったと聞きました。
お陰さまで勉強になった一日でした。
他の地方にどんな良い石が産出されたとしても、当時この地方の砥石は立派で、他のものと比較にならず、幕府指定の納品として一世を風靡していたようです。刀鍛冶屋など昔からの家も点在しています。かつて行った秋田の「角館」や木曽路の「妻籠・馬籠宿」、福島の「大内宿」など・・・数多くの観光地にも匹敵するような??“ふるさと再生仕掛人”としての血が騒ぎました。
南牧村出身で筑波大学教授の学会発表がネットで公開されています。読んで見て下さい。
≪砥山の砥石:地質と歴史≫ (佐藤興平氏)
http://www.gmnh.pref.gunma.jp/research/no_09/bulletin9_1.pdf
県庁HPより
「かぶらの里発展の礎となった砥石の里」
http://www.pref.gunma.jp/07/k09310008.html

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