九条の会・有明講演会(3)
大江健三郎さん
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1980年に厚生省は原爆被害者に対し調査を行いました。厚生省の基本の考え方を示している文書があります。それは、当時原爆被害者援護法を作ると言う事が課題でありました。そこで被爆者に対して、あらかじめ
厚生省、政府の考え方を示しておこうという趣旨の文章です。
「およそ戦争と言う国の存亡を賭けての非常事態のもとにおいては、国民がその生命、身体、財産等に於いてその戦争により何らかの犠牲を余儀なくされたとしてもそれは国を挙げての戦争の一般犠牲として受忍しなければならない」
ヒロシマ、ナガサキで、またオキナワで、人間として決して受忍できない苦しみをこうむったことを記憶し続ける必要があります。それを語り続ける必要もあります。そして、こうして上からおっかぶされる受忍という説得を拒まねばならない、と思います。・・・
「国を挙げての戦争による一般犠牲を受忍せよ」というのは過去に向けてだけ言われる言葉ではありません。
有事国会での福田官房長官の武力攻撃事態での有事関連3法案による国民がどのように権利を制限されるか について政府見解を示しました。
思想、良心、信仰の自由が制約を受ける事はありうる、というものでありました。具体的に、物資の保管命令を受けたものが思想、良心、信仰を理由に自衛隊への協力を拒んだとき、公共の福祉によって制約されると彼は言いました。
私たちの日常生活から基本的人権の制約について注意深くし、なかなかそれを受忍しないと言う覚悟を固める時だと思っております。
憲法が将来について触れているところは多くありませんが
第11条には 「・・・この憲法に保障されいる基本的人権は犯すことのできない権利として、現在及び将来の国民にあたえられる」とあります。
第97条には 「・・・
この憲法に保障されいる基本的人権は人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であってこれらの権利は幾多の試練に耐え現在及び将来の国民に対し犯すことの出来ない永久の権利として信託されたものである。」
この二つとも基本的人権についてであることが興味深い。
この基本的人権が勝手に制約されてしまう、それに対して良心信仰の自由をもとにして協力できない、といえば自衛隊員から銃をつきつけられることもありうる、というのが戦時下の状況ということであります。
・・・
先月、韓国のソウルで開かれた作家や詩人のシンポジウムにまいりました。
先日、加藤(周一)さんが中国にいかれて九条の会の話をされてそれはすばらしいものだったと友人から聞きました。
私も(ソウルで)この九条の会について話しましたが、すこし暗かったと思います。
この2−3年間の憲法改定の企ては押し返すことができると思う、と言いました。しかしその根拠は、現に九条の会に集まっている市民たちの熱意というものに励まされているからだとも申しました。 しかし、その憲法改定を阻止する力をあと五年十年と日本人が持ち続けて、それによって日本と東アジアの国々、国民との間の真の和解を固める為に私たちはしっかりとした成果を上げることができるだろうか?
そうではないんじゃないだろうか?
憲法改正の国民投票に敗れるかもしれない、と鶴見さんはおっしゃいましたが、私は勝つと思います。
ところが、憲法改正しないと、国民投票に勝った後で、私たちはやはり自民党を政権党として選び出すのじゃないか、そして日米軍事同盟を深めていき、アメリカの核の傘から離脱するのは夢のまた夢ではないか、という話をしました。
これを聞いていたアメリカの有名な詩人ゲーリー・シュナイダーがこういいました。
健三郎、あと五年は君の言うようなことかもしれない。しかしあと十年たてはどうだろうか。
Danger of Peakes という詩の中で、彼はこういいました。
求めるなら 助けは来る
しかし、決して君の知らなかった仕方で。
If you ask for help, it comes
but not in anyway you would ever know
あと十年となると、私はもう地上にいないでしょうが、しかしここに集まってきた若い人たちはまだ生きて働いておられます。
その若い人達にこの詩を送りたいと思います。 若い人たちですから 救い とか 助け という言葉は嫌だと思います。
それならば 救い:help を 変化:changeに変えて送ります。
If you ask for change, it comes
but not in anyway you'd ever know
私たち古い世代の知らなかった形でこの国に変化がありうる、それが五年十年の間に実現されうる、と考えていただきたい、そしてそれを求めていだだきたい、それを願っています。
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渡辺さん
服部という歴史家が教科書裁判の家永三郎教授を評して「家永は歳を重ねれば重ねるほど若くなる」といいました。
大江さんの話を聞いて、大江さんが若くなっていくと思いました。
後を継ぐ私たちは大江さんの若さを乗り越えていく取り組みや努力をしなければいけないな と感じました。
最後は井上ひさしさんです。
井上ひさし さん
・・・私はネクタイをしています。 わたしはずっとクールビズできたんですが、そのまんまほっておくと、あいつは(この国の首相が言いはじめた)クールビズをやっているといわれるのが癪なんで、それ以来ずっとネクタイをしています。
昭和二十年の平均寿命、男子は23.7歳、女性は32.3歳でした。
戦地で亡くなり、内地でも、大空襲、ヒロシマ、ナガサキ、オキナワ、・・・で大量に亡くなったからです。
戦争指導者があるひとつのことにこだわって(国体護持)ぐずぐずと引き伸ばしている間に大変な数の人がなくなって、平均寿命を下げたのです。
しかし、今あの時代に戻さなければいけないという人たちが増えてきています。
つまりあんなひどい時代が正しかったんだと言う方がおられて、教科書を書かれて、憲法を変えようとしています。
8月6日、広島の被爆者14万人、なくなった方が14万人、同じ数です。膨大な手記、2万6千件とも言われる、が残っています。そのなかにこういうのがありました。
若いお嬢さんですが、自分も被爆して逃げる途中で後ろから声がかかった。そのほうを振り向くと家が燃えている。その二階で若いお母さんが赤ん坊を抱いて”受け取ってください”と叫んでいる。自分は助からないから、赤ん坊を受け取って と叫んでいる。一瞬戸惑い、自分もものすごく被爆しているので受け止める自信が無い。
そこで「今、お巡りさんか兵隊さんを呼んできます」 といって、結局戻れなかった。
この方は今日まで60年間そのことをずっと考えて生きてこられた、 ”あのとき自分は逃げたんじゃないか、助けられたんじゃないか” と。
ある人たちはあの時代が正しい、あの時代から愛国心がでてくるというかたがおられます。
「餓死した英霊たち」(藤原彰、青木書店)という本によれば、第二次大戦での戦没軍人軍属230万のうち、6割の140万人が餓死、戦わずして食べ物がなくて死んでいった、という。
こういう時代を正しいという人がいる。これこそ日本なんだという人がいる。
フィリピン、レイテ島で12万人のうち、生き残ったのは十数人。生き残って今は日蓮宗の僧侶になっている方が「日本軍はなぜ、捕虜になることを教えてくれなかったのでしょうか?、国際法を教えてくれなかったのか?」と言っている。 餓死した人は、捕虜になれなかったから死んだんです。
この時代が正しかったと言う人が、息を吹き返している。
私は、平和を守ろう、憲法を守ろうと言う時、言葉が空転するような気がしてしかたがありません。
そこで、
平和という言葉を ”日常”に置き換えたらどうかな と考えています。
平和を、憲法を守るということは「今続いている日常を守ること」だ と言い換えています。
友達と会う、会ってビールを飲んだりする、家族と旅行に出かけたり、いろいろお喋りをして楽しく過ごす、勉強をする、全て日常ですが、これが出来なくなることを防ぐ為に、自分たちの日常生活を守るために、このまま続ける為に頑張っていく、続けて行くむこうに子供達や孫たちがいて、その人たちが次の時代を受け取っていくのだ という風に考えています。
・・・
最後は、全員で憲法を朗読し締めくくった。
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ビラ / プログラム
国際展示場駅前 / 有明コロセウム
開場前 / 車椅子席
続々詰め掛ける人たち
九条の会・有明講演会(1)
http://green.ap.teacup.com/kysei/107.html
九条の会・有明講演会(2)
http://green.ap.teacup.com/kysei/108.html
九条の会・有明講演会(3)
http://green.ap.teacup.com/kysei/111.html

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