涙雨の樺忌
<国会南門前で献花>
6/15は樺美智子さんが国会南門で命を亡くされた日である。
今から、46年前 A級戦犯だった岸信介の内閣が強行採決した安保条約に反対する民衆のデモが国会をとりまいている最中だった。
その岸信介の孫が安部晋三だ。あの侵略戦争を遂行した一族がまた日本を滅茶苦茶にしようとしている。その安部の人気が高いという。つくづく、日本人はお人好しだなあ、と思う・・。
当時、私は10歳 連日のデモの様子をTVを見ながら、”学生は良くない”といったら、亡き父にたしなめられた。
”ああいうところばかり映っているが、ほんとうは警官が悪いのだ。学生はやむなく反対しているのだ”と・・。
今年は憲法九条改悪が現実味を帯びてきている中で、当時学生だった人々から、”このままで、なにもしなくていいのか”と声があがり、日比谷公園から国会、南通用門で献花、請願というコースでデモが計画されたという。当時の学生に約1000通案内をだしたのだとか。
献花は毎年 ”声なき声の会”が行っているが、樺美智子追善デモがもたれたのはここ数年でははじめてだろう。
昼間は曇っていたが、デモが出発する15:30ころからは雨が降り出し、けっこう強くなった。 まさに涙雨という他にない。今の日本をみれば、むしろ号泣か・・。
当時の学生はもう70歳近い。それにもめげず雨の中をデモしようという人たちが数百人いる。
”よく数百人きたな”というべきか、”数百人しかいなかいのか”というべきなのか・・。
プラカードを持参している人は、ごくわずかである。
最後尾には法政大学から日比谷へデモしてきた学生たちが合流した。
いよいよ南門。
献花がはじまった。
当時の学生も、今の若者も・・。
デモ隊列の中から、花をもってきて捧げる人たちが続々とやってくる。デモ隊はすべての献花が終わるまで、行進を止めて道の反対側で見守っている。
そして国会請願へ。 歩いている人たちの話が耳にはいってくるが、皆さんほんとにひさしぶりにデモに来られたようだ。
併走して歩道をあるいてきた学生たちが何の根拠も無く警官に阻止される。学生がんばれの声が元学生からかかる。
最初は衆議院議員面会所、社民党の保坂、辻元両議員が請願を受け取りにでる。
聞けば、主催者は全会派に請願を出したのだという。”九条改悪阻止”の趣旨からいえば、共産党も出てきていいはずだ。いかに当時の全学連との間に問題があったとはいえ、今はそれを言っている時ではないと思う。保坂さんは当時6歳、辻元さんが生れた年なのだ。
思い思いのプラカードをもち、車椅子の方もいる。
道の反対側から連帯のシュプレヒコールが・・・。
そして参議院議員面会所では福島党首に請願書を手渡す。
終わって流れ解散だが、そのあと衆議院議員会館でまとめの集会、國弘さんの講演があった。
奇しくも國弘正雄さんは神戸一中で樺さんの先輩なのだそうだ。
日本国憲法に世界に誇るべき卓越したところがあるとすれば、それは九条の平和主義である。戦争を非合法化するという英知が盛り込まれたことは世界に誇るべき事である。むざむざと反古にさせてなるものか。朝日の「戦争は命かけても阻むべし、母祖母おみな、牢にみつるとも」という歌を紹介され、まさに今「改憲は命かけても阻むべし。」だと考えていると披瀝された。
記事が新聞にでている。
http://homepage2.nifty.com/ikariwoutae/starthp/newpage3.htm
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デモに行こう!9条改憲阻止! 国民投票法案不要! 樺美智子追善!
■2時〜3時 報告集会 場所:日本弁護士会館10階1005会議室 地下鉄各線とも「霞ヶ関」。優先順位:上京者・障害者・高齢者、入室不可は、隣接・日比谷公園の大噴水周辺で、待機、三々五々歓談
■3時40分 デモ出発 日比谷公園「霞門」、デモ・献花・国会請願
■5時〜6時 集 会 場所:衆院第2会館第1会議室、国会報告、問題提起:國広正雄氏、 報 告:9条をめぐる改憲阻止運動の現状
■呼びかけ人 青山到、味岡修、旭凡太郎、足立正生、泉康子、栗山一夫、塩川喜信、最首悟、平坂春雄、樋口篤三、望月彰、司波寛、鈴木達夫、鈴木迪夫、佐藤浩一、佐藤秋雄、篠原浩一郎、中尾宏、西村卓司、葉山岳夫、星宮昭生、山中明、由井格
(世話人)代表 小川登、江田忠雄、蔵田計成、佐藤粂吉、平井吉夫、山田恭暉
問い合わせ・連絡先 新宿区四谷4-23 第1富士川ビル302、「9条を守る会(仮)世話人会」
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