「ねりま九条の会 発足一周年記念の集い(2)−澤地久枝さん」
人間らしく デモ?
ねりま九条の会 発足一周年記念−平和・憲法をまもり、はぐくむ練馬1500人のつどい−澤地久枝さん
記念講演:「人とひとが築く砦」澤地久枝(作家、九条の会呼びかけ人)
さて、いよいよ澤地久枝さんの登場である。
病を抱えながら、全国を行脚されている。命を投げ出してもという不退転の決意がびしびしと伝わってくる。 いつも襟を正して聞かなければとおもう。 それでいて終止にこにこと笑顔を絶やさず、あの余裕はどこからくるのか といつも感心する。
ゆるがない信念を持っている人の強さなのだとおもう。
「
・・アメリカ独自の判断で軍事行動をやるときに、なんで日本人はお金を使かわれなきゃならないんですか?お金が足りなくて福祉や教育やいろんな予算を切り詰めてきて消費税を上げるということももう日程に上がってきてますね。
ですから、私たちはお金を奪われ、負けたからといって60年経って外国の軍事基地があり続ける、駐留している費用を次々と思いやり日本が負担してる、
日本はアメリカの属国に成り下がったと私は思います。
国内の論議をするよりもブッシュの所へ行って”我々はこれこれをやります”と報告することを良いことだと思っている、全く情けないと思います。・・」
「・・・明日、野党が政権をとるという可能性はほんとに僅かしかない。政党も駄目である。政治信条というものもぐらぐらしている。
じゃあ、何に希望を繋ぐかというと、政党がどんなに駄目になろうと最後まで残るのは志ある市民です。
皆さんであり、私です。
それ以外に私たちが希望を繋ぐ存在は日本国には無いと思います。
市民一人一人が私はこのように生きたい。このように生きて、死ぬときに自分は力を尽くして死んだ、と満足して死んでいける、そういう人生を送る。
それは何のためかというと自分自身のためでもあるけれども、私たちが見ることの無い、今生れたばかりの赤ちゃんの孫、未来の世代のためにどんな日本を残していくか、ということにかかっていると思います。
未来のために何が出来るか、何をしなければならないか、ということが今おとなである私たちに問われていると思います。
急に、いっぺんに世の中良くなるような妙策が出てくるはずはないですよね。60年以上かけてここまで駄目になって骨抜きになり、志を奪われて、お金を儲けることが非常にいいことであるというような・・・」
「
・・みんなしこしこと働いて、百万円の貯金ができるまでに遠い遠い道を歩いて誠実に働いて生きて時には過労死をしたりしながら、でも自分の人生をちゃんと生きているそういう人たち、其の人たちこそが私たちが大事に考え、手を結んで、普通のあたりまえの生活の中で平和で生きている意味の有る社会をつくっていく。
其の一人の人間というのはほんとに一生涯の間に大きなお金なんぞに全然縁が無いような人生を生きた人たち、それで私は十分だと思う。
其の人たちのほうがはるかにはるかに豊かなはずです。
お金が何百億あったって心が貧しかったらどうにもならない。・・・」
「6/10に九条の会発足2年目の会をやりました。5174の会が全国できている。皆、お金なんかないですよ。自分のお小遣いのなかからお金を出し合って、ビラをつくったりポスターをつくったり手弁当でやっている・・。
色々な立場の人が、私が生きてきた立場、平和と平和の土台のところをしっかり抑えている、ここからは引かない・・。
新しく決めたことがあります。これからはセミナーをやろう、特別なゲストを招いて呼びかけ人と一緒に勉強会をやろうということになりました。自分の得意な分野で研究会をやろうと思っています。・・非業の死が肉親の心にどんなに傷をのこすか、傷をかかえているひとは黙っていないで、是非若い人に伝えてほしいとおもいます。」
「・・・
皆さんいろんな能力をもっている、そしてこの国にお金があるんだったら、それを戦争のために使うんじゃなくて、其のお金をアメリカや日本の軍事費に使うんじゃなくって、生きなければならない、生きられた命を、子供たちが人間らしい人生を送るために使ったらいい、私たちの能力もそういう国に行って役立てなければならないと思います。
そういうのを全部ご破算にして、アメリカ帝国主義といっていもいい、そういうよその国の野心のために命やお金を使うんだったら、私たちは歓迎される国に行ってお金も命も使いたい。
そのために死ぬなら命は惜しくないですよ。
そういう私一人のささやかな志、願望を踏みにじろうとしているのが小泉さんに代表される政治、奥田さんに代表される経済界、それらを支える官僚機構です。これ皆ぶっ壊したいですが、簡単にはこわれない。
でも
私たちが望んでいるのはそういう人のあり方ではない、私たちはほんとに世界のなかで高い理想を掲げて、そしてほんとに皆のためにいいことをしていると言われるようなそういう国(このことば好きではないですが)を構成する市民としてこれから生きていきたい。
そのために九条を守る会が一年後には一万を越え二万を越え、平和のために手弁当で働こうという人たちが、日本という国を柔らかなネットワークで包んだら、どんなに反動的な政府ができようと勝手なことはできないと、私は思います。
そのために、私たちは自分ひとりの志というものを自分の中に問い直して、鍛えていって、ちょっとのことでは揺らいだりしないようにしなきゃならない。強い意志を持つ必要があります。
・・・そういう人間が増えていくということが、ほんとに強い人と人の砦になるんだと私は思う。武器はいらない、意志をもつ、平和のために私は一歩も譲らないと思う人たちが何千万人という層になったらこんなに強い砦はない。そしてそれは夢ではない、と私は思います。
練馬の人たちのこの九条の会は今日が新しい発足の日だとお考えください。ここから私たちはずっと遠くまで歩いていきましょう。
みんな一緒に歩いて、未来を生きる命のために皆が明るい顔でさわやかに歌を歌えるように、一日一日を一刻一刻を生きていきましょう。」
閉会挨拶:本尾良 (市川房枝記念館理事長)
「・・1986年平和運動がふたつに分かれてしまったとき、本当に悲しい思いをしました。組織では駄目だ、市民の一人一人が自覚した運動になっとき初めて平和が守られる、憲法が守られる、そういう思いをいたしました。6/10に参加したときに初めて組織を超えた全国津々浦々の一人一人の自立した市民の平和運動が始まっているということを実感して、大変嬉しく思いました。・・」
本尾さん、田畑区長の後の統一候補だった。当選させられなかったが、九条の会のまとめ役には最適だ。
終わって、サイン会。長蛇の列だが、澤地さんは笑顔を絶やさない。


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