黙々と-part2

デモと映画と卓球と
本と旅と音楽と

 

カレンダー

2021年
← May →
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

カウンター

  • 本日のアクセス  
  • 昨日のアクセス  
  • 総アクセス数      

ブログサービス

Powered by

teacup.ブログ
RSS
投稿者
メール

 
コメント
URL
コメントは新しいものから表示されます。
コメント本文中とURL欄にURLを記入すると、自動的にリンクされます。
投稿者:KY生
やせ蛙さん

北西は間違いで西北青年団でした。北半分から南に移ってきた極右反共集団でした。文は直してあります。 

leeさん
 ありがとうございます。少しでも済州の事を伺えて良かったです。
「4・3で、北の収容所で、死んでいった多くの同胞のおかげだ」
 この言葉、心にしみこみます・・。
投稿者:lee
やせ蛙さん。

文中の「YK生」は、KY生さんですね。(笑)

KY生さん。

私の両親は2回国へ帰ろうとしたことがあります。
1回目は、終戦後故郷の済州島へ帰還しようと。その時は私はお書きになったように生まれてはおりませんでした。
2回目は、私が小学校低学年のころ、60年代初めくらいに活発化した北朝鮮への帰還運動の時です。
帰国しようとしたその2回に共通しているのは、この国での生活に嫌気が差し見切りをつけたいということと、どっちに転んでもその時帰っていれば、私はこの世にいなかったということです。
そんなことを考えれば、私は両親が忌み嫌ったこの国にいたからこそ生まれでて、生きながられて来れたといえるのかもしれません。
ただ、それはこの国のおかげであったというよりも、4・3で、北の収容所で、死んでいった多くの同胞のおかげだと思ってます。

私が今生きて李政美を聴き、KY生さんらと酒と会話を楽しめるのは、ほんのちょっとした偶然なのかなとも。であるからこそ、この偶然を粗末には出来ないのかな、とも思うのです。
投稿者:やせ蛙
YK生さん:文中の「済州島島外から警察、軍、北西青年団などを動員して」ですが、北征青年団ではないでしょうか?自信がありませんが。あの時の李圭倍氏の講演は内容が豊かでしたが、聞き取りにくい部分がありました。白板を用意して地名、人名、団体名は即座にアシスタントが漢字で書いてくれれば良いのだがと思いました。

自由項目

teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ