横山祖道師は、俳句よりも和歌をたくさん遺されたようです。
千曲川旅情の歌のくさぶえは佐久のおのこのふきししばぶえ (歌曲集p186)
島崎藤村の「千曲川旅情の歌」の「歌哀し佐久の草笛」を受けての和歌が記されております。実際に聞かれたのか、想像なのかわかりませんが、祖道師も、「佐久の草笛」は、男児の柴笛(のはず)と断じておられます。私も、藤村の詩を読んだとき同じ思いをもちましたので、この祖道師の歌が、我が歌のように思えてなりませんでした。
ただ、柴笛だったのかどうかは、藤村の詩の効果を考えれば、断言するのは難しいのかもしれません。和歌としては、「しばぶえ」でなければならないのは、容易にわかりますが・・・
「歌哀し」とは言いながら、藤村は、草笛でメロディーを聞いていたのでしょうか? 歌のない音だけだったのでしょうか? 私には、幼い男の子がピーピーと吹いている情景が浮かび、メロディーは邪魔な感じがするのですが、如何でしょうか? どちらでも良いことかもしれませんネ!
「くまもとの翁」から、次の返歌が寄せられております。
こもろとやそのなよろしもなつかしもきみがしばぶえききてあるごと (歌曲集p187)

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