全集第23巻P52〜
京都の会合
大正5年(1916年)12月10日
「聖書之研究」197号
山姫(やまひめ)は霧(きり)の帳(とばり)に隠れゐて
紅葉(もみじ)の袖(そで)やほのめかすらん
私は、蓮月尼のこの歌に現れている期待を懐いて、十一日即ち土曜日の朝京都に着いた。そして私の期待に違(たが)わずに、霧は三十六峰を包(つつ)み、紅葉はその間にほの見えた。
翌十二日の安息日は、日本晴れの好天気、今年最終の日和(ひより)であった。遠近より会した兄弟姉妹は五十余名、ここにもまた温かい霊的家族を発見したのである。
朝はヨハネ第一書3章1〜3節の講義、午後は家族の懇話会、夜は会食会と、実に終日の黄金日であった。もし不足を言うならば、自分の講義が不満足であった事である。その他はすべてが満足、すべてが感謝であった。
十三日は、独り近江の石山寺を訪れ、紫式部の源氏の間に清い秋月を偲(しの)び、帰途は小蒸気船で湖水を渡り、比良(ひら)と比叡(ひえい)の雄姿(ゆうし)に親しみ、夜はまた京都でガラテヤ書5章5節の講義を試みた。
十四日は嵐山に友に導かれ、十五日は旧友二人と共に宇治郡日野の山奥に鴨長明の方丈の古跡を訪れた。私がもしキリストを信じないで、彼長明のように弥陀に頼んだならば、私もまた今頃は、世を避け山に隠れて詩歌琴弦に静かな日を送ったであろう。
私は友人の旧蘆(きゅうろ)を訪れる心を以て、儒者松苗
(岩垣東園、江戸時代後期の儒者 http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000113122 )が建てたという方丈石の側に立った。
十六日は終日友人を訪れ、夜にはまた第三回の講義を試み、十七日朝、多くの友人に祝福されながら、感謝の帰途に就いた。嵐山、上加茂の紅葉は唐紅(からくれない)のように紅(あか)かった。しかしながら、キリストに在る兄弟姉妹等の愛は、それよりもなお紅かった。
古い日野山の詩人(ポエット)と、石山の女詩人(ポエテス)とは慕わしくあった。しかしながら現今(いま)在る信仰の兄弟姉妹は、それよりもなお慕わしい。
キリストを信じる私達は、理想を今人に求めて、古人に求めない。最も慕わしい友は、歌の友ではない。信仰の兄弟姉妹である。
私にとっては、京都はその歴史の故に貴くはない。それは現今ある愛を以て働く信仰の故に貴いのである。そしてそのような信仰を、私は現今の京都において見たのである。
完