全集第26巻P35〜
(「ロマ書の研究」No.5)
第三講 パウロの自己紹介(二)
第1章1節、2節の研究 (1月30日)
ロマ書1章1節を原語の順序のままに記せば、
パウロ イエス・キリストの僕(しもべ) 召されたる使徒 神の福音のた
めに選ばれたる
となる。これを文法的に言えば、「パウロ」という語を三個の形容句(Adjective phrase)によって修飾(modify)したのである。
英訳聖書において Paul, a servant of Jesus Christ, called to be an apostle, separated unto the gospel of God とある。これは完全な訳ではないが、大体において原文の文脈は保たれているのである。
今もしこれを分解すれば、次のようになる。
(第一) イエス・キリストの僕(しもべ)なるパウロ
(第二) 召されたる使徒なるパウロ
(第三) 神の福音のために選ばれたるパウロ
即ち、ロマ書第1章1節は、上記の三つの思想から成るものである。その内、第一は前講において説明したとおり、すこぶる重要な意味を有するものであるが、第二、第三もまた、これに劣らない重みを有するものである。
パウロは先ず自分を「イエス・キリストの僕(しもべ)」と称した。これは、コリントから遥かローマに架したアーチ橋の第一石である。
キリストの僕(しもべ)というのは、広い語であって、全てのキリスト者を指すものである。キリストの僕(奴隷)としての覚悟のない者は、他に如何に優秀な特性を有していても、キリスト者と称することは出来ない。
ローマの信者で、真のキリスト者である以上は、必ずキリストの僕であるべきはずである。キリストの僕である点においては、パウロと彼等との間に、何等の差別もない。たとえ両者は他の全ての点において相違していたとしても、少なくともこの一点においては、全く同一である。
パウロは先ずキリストの僕と記して、何よりも先にこの事が彼の第一特徴であることを示したのであるが、同時にまた、ローマの信徒と共通であるこの一点を先ず記して、自分と彼らとの間に一脈の温流を通したのである。
貴い愛の技巧よ! 多分ローマの信徒は、書簡の劈頭(へきとう)にこの句を読んで、少なからぬ安心(やすけさ)と暖味(あたたかみ)を感じたことであろう。
しかしパウロは、彼等との共通点にいつまでも佇立(ちょりつ)していることは出来なかった。彼は進んで、「召されたる使徒」と述べた。これによって彼等と自分との第一の相違を明らかにし、併(あわ)せて神から与えられた自己の権能を示したものである。
そもそも、「使徒」の意義とはどのようなものか。原語 apostolos (アポストロス)は、apostello (アポステロー)という動詞から出た名詞であって、この動詞は、「使者を遣わす」を意味する語である。
したがってアポストロスは、
遣わされた人、使者、特使を意味する。ビートの「ロマ書注解」は、この語をone sent on some special business (ある特別の仕事のために遣わされた人)と解している。
この意味においては、この語は聖書の専有語ではなくて、普通一般の語である。しかし、もちろん聖書にあっては、これが特殊な意味を有つものとして用いられている。
即ちグリーンのギリシャ文典に記されているように、これは a messenger of Christ to the world (キリストよりこの世への使者)という意味である。それでは全ての時代における全ての福音宣伝者は、悉くアポストロスであるか。
ある意味においてはそうである。しかしこの語は、新約聖書においては歴史的制限の下に記されている語である。即ち歴史的に初代教会に限られた語としてあるのである。
初代教会以後においても、多くの優秀な伝道者は輩出した。彼等は明らかに「キリストより此世への使者」である。しかし、新約聖書に記されるアポストロスではないのである。
このように、
使徒とは初代教会特有の語であるが、それにはまた広狭二つの意味がある。狭義においては、キリストの生前に使徒に任命された「十二使徒」を指すのである。この意味では、パウロはもちろん使徒ではない。換言すれば、彼は十二使徒の一人ではない。
次に広義においては、使徒という語は、第一級の伝道者を意味する。「
神は第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、その次に異能を行ふ者、次に病を医(いや)す能(ちから)を受けし者、救済(ほどこし)する者、治理者(つかさどるもの)、方言を云ふ者を教会に置き給へり」(コリント前書12章28節)、
また「
その賜ひし所は使徒あり、預言者あり、伝道者あり、牧師あり、教師あり」(エペソ書4章11節)とある。即ち広義の使徒は、教会の第一人者を意味する。
バルナバや主の兄弟ヤコブなどは、この意味の使徒であった。パウロも十二使徒の一人でなかった以上、先ずこの意味の使徒であったのである。
このように、使徒という語は、初代教会において全ての伝道者を指した語ではなく、ある種の伝道者を指した語である。この意味においては、使徒を
大使(Ambassador)と見るのが最も適切である。
そもそも大使とは、自国の主権者の代理として、他国に赴(おもむ)いた者である。彼は外国に在って、自国の主権者の代理者として立つ者である。ゆえに四方に使して、君命を辱しめない者が大使として相応しい者である。
実に貴い地位である。パウロが使徒であると言うのは、キリストの大使であると言う意味である。そして彼は特に、異邦人への使徒である。実に、異邦使徒(Gentile Apostle)である。即ちキリストから異邦に遣わされた者であって、異邦人の間におけるキリストの代理者である。
パウロは先ずキリストの僕(奴隷)と称し、次にキリストの大使と称する。一度奈落の底に落ちて、たちまち九天の上に登るかのようである。これを矛盾と捉えて彼を貶(おとし)める人がいる。その思想を奇怪として排する人がいる。
しかし、これは前後矛盾ではなくて、対照(コントラスト)である。奇怪ではなくて奇勁(きけい
:「不思議に力強い」という意か…旅人)である。実にパウロは大対照の人である。その人自身が種々の相反性を一身に兼ねた人であり、したがってその思想の中に種々の相反すると見えるものが共在しているのである。
そうではあるが、これは対照(コントラスト)であって、決して前後矛盾ではない。僕(しもべ)と言うのも真であり、大使と言うのも真である。彼の地位は、ある意味においては極めて低く、ある意味においては極めて高い。
したがって彼は、ある場合においては極めて謙遜であり、ある場合においては極めて自信に富んでいる。
彼はローマの兄弟達と同じ地位の者であって、また別の地位の者である。彼等のために奉仕(サーブ)する僕であるが、また彼等の上に権を取る使徒である。彼は、「
更に多くの人を得んために自(みずか)ら己を凡ての人の奴隷とな」(コリント前書9章19節)した人であった。
しかし、「
我がキリストに効(なら)ふ如く、汝等われに効ふべし」(コリント前書11章1節)と言って、自分を信者の師表(しひょう)とするほどの自信のあった人であった。
使徒である。けれどもただの使徒ではない。「召されたる」使徒である。「召されたる」の一語は私達にイスラエルの古い偉人を想い起させる。
始祖アブラハムは、「
汝の国を出で、汝の親族に別れ、汝の家を離れて、我が汝に示さん其地に到れ」とのエホバの召を受けて、「
エホバの己に言ひ給ひし言(ことば)に従ひて出で」て往ったのである(創世記12章)。
国祖モーセは、神の山ホレブにおいて民族救出の聖召(めし)を受けて辞退し、また逡巡したが、遂にこれを受けざるを得なくなったのである(出エジプト記第3章)。
預言者イザヤは、エホバに罪を潔(きよ)められて召されたため、その聖召(めし)に応じて立つに至った(イザヤ書6章)。
エレミヤは「
われ汝を腹に造らざりし先に汝を知り、汝が胎を出でざりし先に汝を聖(きよ)め、汝を立てゝ万国の預言者となせり」との招きに応じて、一度は辞退したが、遂に預言者の聖職に就いたのである(エレミヤ記第1章)。
いずれも自ら進んでその重責に当ったのではない。神に召されて、辞退したが許されずに、遂に余儀なく就任したのである。
自薦(じせん)によらず聖召(めし)による。そこに弱みがあり、また強みがある。そう、人による弱みがあるので、神による強みがあるのである。
パウロ自身が実にそうであった。「彼は十二使徒と同様彼の職に
召されたのである。彼は自ら好んで、又は偶然の機会でそれに達したのではない」(マイヤー)。
そして召されて使徒職に就いたということは、もちろん彼の内心に、神のこの聖召(めし)を感知したことであって、何等外形的な事象として現れたことではなかった。
そのためにパウロは、自ら使徒と僭称しているとの非難が、処々方々にあった。彼の敵人の中では、この声が格別に高く挙がった。殊に彼がキリスト教迫害者であったという過去の暗い歴史が、彼の位置をますます不利にした。
そうではあるが、聖召(めし)の一事は、全てのそのような非難・攻撃の毒矢を払いのけ得て余りあるものであった。主が召された者に向って僭越との悪名を与えて、誰が正しくあり得ようか。
パウロがガラテヤ書の劈頭(へきとう)第一に、「
人よりに非ず、又人に由らず、イエス・キリストと彼を死より甦(よみがえ)らしゝ父なる神に由りて立てられたる使徒パウロ」と高らかに叫んだのも、
コリント前後書の所々で自分の使徒職についての弁護的筆法を揮ったのも、みな自分の心の前に敵人の非難攻撃を立たせての戦いなのである。
コリント前書9章を見なさい。同後書3章、4章、6章、10章、11章、12章を見なさい。戦塵もうもうとした中における彼の、自分の使徒職の擁護は、実に精彩に満ち、光り輝いている。まことに偉大な霊魂の心情ありのままの発露として、天然そのもののように純にして美である。
ロマ書を記す頃には、この擁護戦はほぼ下火になった。彼の勝利はもはや鮮やかであった。彼は今や、押しも押されもしない大使徒である。しかし彼は、過去幾年かの辛い経験を思い出さざるを得なかった。
彼は幾年も用いた同じ武器をまた取って、「召されたる」の一語を添加せざるを得なかった。語は一語である(原語クレートス)。しかし意味は無量である。そしてこの語を記した時の彼の感慨もまた無量であったことと私達は思う。
(以下次回に続く)