全集第27巻P470〜
満62歳の感
大正12年(1923年)3月10日
「聖書之研究」272号
◎ 私は文久元年(1861年)2月の生まれであって、今年は満62歳になります。人生の半ば以上を既に過ぎたのであって、今やその夕方に近づいて来たのです。神は今後幾年私をこの世に置いてお使いになるのか、私はもちろん知りません。
しかしながら、彼が私に向い、「汝の筆を捨て、汝の唇を閉じて我が許へ来れ」との命令を降される時は、もうあまり遠くではあるまいと思います。
◎ それでは62歳の今日、私はどう感じるかと人に問われるならば、私はだいたい次のように答えるだろうと思います。
私は、世に生まれて来たことを少しも悔いません。またキリスト信者になった事を、少しも悲しみません。私の生涯は、そのだいたいにおいて、恵まれた生涯でした。神は私に、私相応の患難を下されましたが、それはいずれも無くてはならない患難でした。
私はその全てのゆえに神に感謝します。殊にこの不信国に生まれてきて、イエス・キリストの福音を信じることが出来、これを30年の長い間、私の同胞に伝える事が出来たことは、実に光栄の至りです。
私がこの事を為したのは、政府に命じられ、あるいは教会に頼まれて為したのではなく、ただ私以上の「ある者」に強いられて為したのであると思えば、感謝はいっそう深くあります。私は私の生涯に臨んだ神の恩恵の数々を想って、感謝の涙に咽(むせ)ばざるを得ません。
しかしながら、私の生涯の誇りは、私が為すことを許された少しばかりの事業ではありません。
イエス・キリストの十字架です。私は十字架の深い意味を少しなりとも解らせてられて、実に感謝せずにはいられません。
その事を思って、私はある時は、日本人の中に私ほど幸福な者はいないであろうと思います。
これさえ有れば、人生のすべての苦痛を償(つぐな)うことができ、また
これさえ有れば、恐れずに死の河を渡ることが出来ると信じます。
私はもちろん、自分が偉い者であり、または聖人であるとは思いません。私の信頼は、徳でも行(おこない)でもありません。私の信仰です。神の子が私に代って受けて下さった十字架上の死、それが私の信頼(たより)です。そしてこれを念(おも)う時に、墓の暗黒が、私の目の前から取り去られます。
私は西山に太陽が将に没しようとする所に、まばゆい黄金の光を見るように、墓の彼方に新しいエルサレムの栄光を認めます。私は、ある時はカナリヤ鳥の声が、かの国の歌ではないかと思います。愛する者との再会が待たれます。
それではこの世の事を忘れるかと言えば、決してそうではありません。かの国の夢が覚めるや否や、直ちにまた命じられたこの世の仕事に就きます。
62歳の春を迎えて、私は決して失望の人ではありません。詩と歌と科学と哲学とは、また沢山に私に存(のこ)っています。今日のいわゆる隠居する心は、少しも起こりません。
ただ目や歯がだんだんと弱っていくのを見て、世人の言う老境に、自分も入ったのかと気が付くだけです。そのほか全体の気分においては、青年時代と少しも変わりません。
◎ 私は今は政治や社会や交際には、少しも興味を有(も)ちません。それは一つには私の性質がそうさせるのかも知れません。しかし、その他に深い理由が有ると信じます。
この世のことは全て表面の事であって、それは実は、どうなっても良い事です。人生万事は、実は政治や外交や社会運動によって決まりません。神と人との関係如何(いかん)によって決まります。
そして私のこの意見を裏書きしてくれる者は、今日までこの世に現れたすべての大預言者、大詩人、大哲学者など、大と称されるすべての人であると信じます。
私は偉人によって代表された人類の世論に従って歩もうとしています。ゆえに今日の新聞記者や政治家または宗教家等の言葉には少しも耳を傾けません。
私は単独(ひとり)ですが、しかし、少しも淋(さび)しくありません。日々の仕事が最大の喜びです。教会その他のこの世の団体には少しも関係しませんが、「世界の市民」の一人として、神にも人類にも仕えてはなはだ愉快です。
完