全集第28巻P5〜
真の伝道師
大正12年(1923年)9月10日
「聖書之研究」278号
◎ 真の伝道師に無くてはならないものが三つある。
その第一は、神に救われた実験である。これが無ければ、彼の聖書知識がどれほど該博(がいはく)でも、彼の哲学的素養がどれほど深遠でも、彼は人を教え、霊魂を救うことは出来ない。
自分が先ず神に救われた実験を有しなければ、他(ひと)を救いの道に導くことは出来ない。
◎
その第二は正直である。伝道に政略は無用である。無用であるだけでなく、有害である。
「
恥(はず)べき隠れたる事を棄(すて)て詭譎(いつわり)を行はず、神の道を混(みだ)さず、真理を顕(あらわ)して神の前に己を衆(すべて)の人の良心に質(ただ)すなり」(コリント後書4章2節)というのが、パウロの伝道法であった。
自分の良心を以て他(ひと)の良心に臨む。自分の信念ありのままを披歴(ひれき)して、世の公平な判断に訴える。伝道は戦争ではない。これに戦略または謀計があってはならない。
真理そのものに勝る勢力はない。政略も知略も伝道にとっては大妨害である。失敗しても良い。誤解しても良い。ただ神の道を乱さないように努め懼れる。正直な心を以て明白な神の真理を伝える。
そのために教会が起らなくても良い。牧師、宣教師等に嫌われても良い。成功を度外視して、ただひとえに真理の唱道者となるべきである。
◎
その第三は、健全な常識である。事実は事実としてこれを採用し、これに服従すべきである。前もって作った説を基に、万物を判断してはならない。進化論に真理があるならば、臆せずにこれを採用すべきである。高等批評に聴くべき所があるなら、躊躇(ちゅうちょ)せずに、これに聴くべきである。
今の時代において、誰でも科学の結論を無視する事は出来ない。もし科学に反対すべき点があるなら、聖書の言葉によって反対せずに、科学によって反対すべきである。哲学には哲学を以て応じ、批評には批評を以て応じるべきである。
信仰は、無学を言うのではない。知識によって潔(きよ)めなければ、信仰は迷信に化し易い。信仰は単に信仰だけの事ではない。また知識の事である。知識を以て鍛(きた)えた信仰を伝えて、真(まこと)の伝道が行われるのである。
完