全集第29巻P98〜
キリスト教会の現状
大正14年(1925年)5月10日
「聖書之研究」298号
◎ 私は、キリスト教会なる者は在ると信じる。それはキリストを信じる者が自然(おのず)と作る団体であって、人はキリストを信じた時に、自然と教会員に成ったのである。
「
斯(かか)る者の中にはユダヤ人またギリシャ人、或(あるい)は奴隷或は自主、或は男或は女の別なし。そは汝等皆なキリスト・イエスに在りて一(一人)なれば也」(ガラテヤ書3章28節)とある通りである。
全世界の信者は、ただキリストを信じるという理由で、一体即ち一人であると言う。この意味においての教会の実在は、私といえども否定することは出来ない。
◎ そしてキリスト教会とはどのようなものかと言うと、内に対しても外に対してもキリストの心を以て行う者である。
即ち自分の事を後にして、他人の事を先にし、全て他人にしてもらいたいと思うことは、自分から進んで他人にしようとする者である。キリスト教会の精神は、明らかに、キリストがその弟子に授けられた教訓において現れる。
異邦人の王は其民を支配す。又其上に権を取る者は恩(めぐみ)
を施す者と称(とな)へらる。然れども汝等は如此(かく)すべか
らず。
汝等の内大なる者は幼者の如く、首(かしら)たる者は役(つか)
ふる者の如くなるべし。
(ルカ伝22章25、26節)
と。
相互に対し、他人に対し、他教会に対し、僕(しもべ)の態度に出る者、それがキリスト教会である。そしてこの精神の無い所に、キリスト教会は無いのである。
◎ 今ある数多のキリスト教会なる者が、そのような教会でない事は、教会自身といえども疑うことは出来ない。今の教会は、異邦人の王のように、民衆または他教会を支配しようとする。この世の国家にならい、他宗教または他教会を倒して、その上に権を振るおうとする。
その伝道なるものは、奉仕ではなくて、勢力拡張である。今や教会は弱さを恥じて、強さを誇る。人の首(かしら)となることを欲して、その役者(つかえびと)になることを欲しない。
教会相互が、「
彼等の中にて長(おさ)たる者は誰なるかと云ひて互に相争ふ」。
このようにして、どの点から見ても、今の教会はキリスト教会と称する資格のない者である。
◎ 英国マンチェスター大学総長L.P.ジャックスは言う、「今やキリスト信者の心は、教職(クラージー)から離れた」と。即ち真のキリスト信者は、教会の外に出たと。教会が教会でなくなったので、信者はその外に出たのである。
キリストは依然として存在しておられる。キリスト信者は依然として絶えない。けれども教会が異邦人の王に倣うに至ったので、キリストと信者とは、その内を去ったのである。
けれども教会は消えて消えないのである。二人三人主の名によって集まる所に主は居られて、新しい真の教会が起こりつつある。感謝すべきである。
完