全集第30巻P466〜
キリスト教と日本
昭和2年(1927年)11月10日
「聖書之研究」328号
霊的文明創始の任務
◎ 西洋文明の没落とは、東洋人が西洋人を憎んで発した呪いの言葉ではない。西洋人自身が盛んに唱える説である。
ドイツの大哲学的歴史家オスワルト・シュペングラーの大著を Der Untergang des Abendlandes と言う。「日の入る国の没落」の意味である。近来の大著述であって、長くその声価を維持するであろうとは、学者一般の定評である。
既に百版に達し、なお需要の減退を見ないと言う。ドイツ流の精細な学究の上に、西洋諸国が既に衰退期に立っていることを立論した大著述である。
学者の唱道をことごとく信じる必要はないけれども、シュペングラーのような大家の学説は、これを等閑(なおざり)にすることは出来ない。西洋の没落は、単に預言者の「悪事の預言」でない。冷静に攻究すべき問題である。
英国に在っては、カーライルが既に西洋文明の自殺説を唱え、L・P・ジャック(
https://en.wikipedia.org/wiki/L._P._Jacks )氏はその後を受け継いで同説を主張しつつある。
問題は、西洋文明の素質に関するものである。その文明が理論上存続し得るかどうかの問題である。そして存続し得ないことは、学者をまたずに、無学者にも分かる。
◎ その一例を挙げよう。近代文明に必要不可欠なものは、自動車である。自動車なしには、近代文明は一日も維持することが出来ない。
そして自動車に必要なものは、ガソリンであって、ガソリンの原料は石油である。故に石油が尽きるなら、近代文明は止まるのである。ところが石油は比較的に稀な鉱物であって、その産出に限りがあることは、よく知れ渡った事実である。
最近の調査によれば、米国における1カ年の石油消費高は7億5千万バレルであって、これに対し目下のところ産出の見込みがある量は、45億バレルであると言う。即ち
6年分の消費高に過ぎない。
たとえなお10年間〜20年間の消費を充たすに足る量を産出するとしても、米国における石油掘り尽しの時期が遠くないことは、明らかである。
全てがこの類である。文明人種が全世界の有用物資を使い尽くすのは、決して遠い未来の事でない。
これに加えて、激烈な競争が行われている。生活はますます向上しており、とうていこの狭い世界を以てしては、年毎に大速度で増加する人口を養い得ないことは、何よりも明らかである。
この文明は、このままにしておいては、行き詰まって亡んでしまうことは、学者を待つまでもなく明らかである。
西洋と西洋文明とは、バビロン王ベルシャザルの場合のように、「メネ、メネ、テケル、ウパルシン」(数えられた、計られた、分かたれた)である。
◎ このようなわけで、世界と人類とが全滅しない限りは、今日のいわゆる文明とは全く素質を異にする文明が起こる必要がある。
旧い東洋文明は既に試みられて失敗に終った。西洋でもなく東洋でもない、全く新しい文明が起こる必要がある。そして西洋と東洋の間に介在する日本が、この困難な、しかも光輝ある任務を、神と人類とのために果たすべき地位に置かれたのではあるまいか。
日本人としては、旧い日本も駄目である。新しい日本はなおさら駄目である。日本自身が生きるためにも、斬新な文明を切り出す必要がある。
欧米、欧米と称して、何事も欧米に学んで、得る所は失う所を償(つぐな)うに足りない。大胆に新文明の大洋に乗り出す方が良い。
単に日本一国の死活問題ではない。全世界の死活問題である。
人類はこれからどのようにして生きるか、それが人類目下の最大問題である。
◎ 文明は宗教を以て始まる。文明は生活全部の総称である。そして宗教は生活の基礎である。人は神について考えるとおりに成る。キリストの御父なる真の神が最善の神である。
その御意(みこころ)を御教示(みしめし)の通りに行う事、その事が人類の理想でなければならない。そして私たちは、日本に在って、この事を行おうと思う。
先ず第一に自分として、第二に同信の友の間に、第三に国として、またその民として、神の啓示(しめし)によって歩みたいと思う。
「
汝等生命の為に何を食ひ、何を飲み、又体(からだ)の為に何を衣(き)んとて思ひ煩ふ勿(なか)れ。是れ皆な異邦人の求むる者なり。汝等先づ神の国と其義(ただ)しきを求めよ。然らば是等の物は皆な汝等に加へらるべし」と。
これは今日の経済組織をその根底からくつがえす教えである。しかしながら、これによってのみ、人類生活の安定を完全にすることが出来る。したがって競争は止み、戦争は絶え、真の幸福が地上に臨むのである。
人は神に依って生きる道を学ばなければならない。「神に依って」である。神から直ちに生命の供給を受け、万事万端において神の指導に依って行い、神の能(ちから)によって行う。神に問わずには何事をも為さず、神に許されなければ何事も行わない。
そして神の命であれば、利害を問わずにこれを実行する。そうすれば、神は私たちを助け、その尽きることのない富を以て、私たちの欠乏を充たして下さる。
その時人口は今日の百倍になっていても、私たちは何も恐れることなく、全ての人が全てにおいて足り、歓喜と満足とは全地に満ちるに至る。
今日の物質本位の文明を捨てて、これに代えて、神本位の霊的文明にする事、それが、神が日本人から要求しておられる事業であると思う。
事は大事であるが難事でない。神に依る文明である。故に神が私たちを用いて起こされる文明である。私たちはただ自己に死んで神に生きれば、その刹那(せつな)にこの大事業は私たちを以て始まるのである。
(12月19日)
完