全集第30巻P491
祈祷の特権
昭和2年(1927年)12月10日
「聖書之研究」329号
◎ 私に金が無くても、知識、能弁、健康が無くても、私は国のために、同胞のために、人類のために大きな事を為すことが出来る。
私は祈ることが出来る。祈祷によって神の心を動かし、彼の恩恵をこの悩んでいる地上に呼び求めることが出来る。
祈祷は、神が人としての私に、殊にクリスチャンとしての私に与えて下さった最大の特権である。私は、これを用いなくて良いであろうか。
私はたびたび、私にこの特権が与えられたことを忘れる。私は実は勢力者であるのに、その勢力を用いずに、常に貧弱を嘆く。何と愚かな私ではないか。
◎ 人は窮すれば、人に頼む。人の助けを得て、窮地を脱しようとする。そして人の助けが絶えた時に、行き詰まったと言う。彼は自分に祈祷の特権があるのを忘れるからである。
何が無くても、祈る心は有る。これさえあれば、私に万物があるのである。そして私の祈祷に応えてひとたび聖霊が私に降るなら、私は強い者となって、有り余る能力(ちから)によってまた他人をも助けることが出来る。
祈祷の哲理を解しないけれども、祈祷の実力を知る。私は弱い人である。けれども祈祷の人である。故に強くされ、また人をも強くすることが出来る。祈祷の特権は、何と大きいことか。
完