全集第31巻P35〜
(「イザヤ書の研究」No.10)
その10 審判と救い 2章1〜4節、ミカ書4章1〜4節
◎ イザヤ書第2章から新しい預言が始まる。
ユダとエルサレムに関し、アモツの子イザヤが見し所の
言は是なり。 (1節)
とある。「
見し所の言」と言う。言葉は聞くものであって、見るものでない。何で「見し所の言」と言うのか。預言者は、エホバの言葉を聞いたと言わずに
見たと言う。
一つには、これを異象(いしょう)に見たのであろう。ちょうど映画に見るかのように、画によって啓示(しめし)に接したのであろう。二つには思想としてではなく、
黙示として伝えられたのであろう。
それがどのような形によってか、今知ることは出来ない。しかし生き生きとした、はっきりとした形で伝えられたことは確かである。
もし私たちの経験において、これに類したものを知りたいと思うならば、詩人の思想または芸術家の理想のようなものであるに相違ない。いわゆる天来の思想であって、どこから来て、どこに往くのかを知らないという性質のものである。
こつぜんとして現れて、深く脳裏に印象される。悪魔につかれると言うように、思想につかれる。天来の思想に捕らえられる。ゆえに言わざるを得ずに言う、それが預言である。
このように預言者は思想家と異なる。もし類を求めるならば、預言者は詩人また作曲家の類である。そして詩人ダンテと作曲家ベートーベヴェンは大預言者であった。「
言を見る者」、神の聖意(みこころ)を生き生きとした事実として見る者、その者が預言者である。
◎ そしてイザヤはここに彼の愛するユダとエルサレムについて、美(うる)わしい夢を示された。それは「末の日至らん時に」事実となって現れる事であると言う。2節以下4節までの言葉がそれである。
実に美(うる)わしい言葉である。預言そのものが、絶大な詩である。誰でもこれを読んで、終生忘れられない印象を受けざるを得ない。殊に忘れ難いのは、第4節の言葉である。
斯くて彼等はその剣(つるぎ)を打ちかへて鋤(すき)となし
その鎗(やり)を打ちかへて鎌となし、
国と国とは剣を挙げて相攻めず、
また重ねて戦争の事を学ばざるべし
と。実に美しい偉大な夢である。こんな夢ならば、誰でも見たくなる。痴人夢を語ると言うが、これは知者でなければ見ることが出来ない夢である。かつてある有名なラビ(ユダヤ教の教師)が、ある平和会議の席上で述べたことがある。
キリスト降世より700年前に、イザヤがこの預言をしてから、
平和会議は幾回失敗しても、人類はこの預言に捕らわれ、世
界的平和が実現可能であることを信じて疑わない。また平和
実現の暁(あかつき)まで、平和会議を開いて止まない。
と。実にその通りである。兵器の進歩、兵備撤廃の声はますます高くなった。小さなデンマークは既にこれを実行し、共産主義のロシアは、それが世界的に実行される事を提唱した。
そしてこれを痴人の夢として嘲る者は、聖公会の本国である英国である。また一方平和を高唱しながら、他方で軍艦建造を急いでいるのは米国である。
知人の夢であると言う。しかし、聖書が明らかに示している、神が預言者に示された異象(いしょう)である。
宣教師を異教国に派遣し、聖書の採用を促しつつある英国と米国との両国が、世界的平和の実現を、痴人の夢として嘲るのである。
◎ イザヤがした預言と同じ預言を、預言者ミカがした。ミカ書4章1〜4節がそれである。前にかつて述べたように、ミカはイザヤと同時代の預言者であった。
故にミカがイザヤの言葉を借りたのか、あるいはまた、イザヤがミカの言葉を借りたのか、分からない。あるいはこれは、その時代の預言者すべての共通の思想であったと見ることも出来る。そしてまたミカの預言には、イザヤに無いものがあった。それは最後の一句であった。
皆な其葡萄樹(ぶどうのき)の下に坐し、其無花果樹(いちじく
のき)の下に居(おら)ん。之を懼(おそ)れしむる者なかるべし。
と。即ち
世界平和到来の時には、人は各自小地主となって、自分の手で作った物を食い、自分が建てた家に安んじるであろうとの事である。
こういう言葉がある、「神は田舎を造り、人は都会を作った」と。そしていわゆる文明は、都会文明である。人が集合して相助けて、最大限度に地上の生命を楽しもうとする努力である。
そしてそれが全ての患難(なやみ)を生じ、競争を起こし、戦争を産んだのである。人が人に頼らずに、神に頼る時に、彼は自ずから独立になる。
直ちに天然に接して、天然を通して天然の神に近づこうとする信仰の人は、自ずと都会を離れて、田舎に住もうとする。自分のブドウの木の下に座って、自分のイチジクの木の下にいる事は、彼の理想である。
世界的平和は、自作農業の発達を促す。末の日に神の国が地上に建設される時には、東京、大阪、名古屋と称するような人間の集合地は跡を絶って、これに代って、全国にわたる小地主の自作農業の繁栄を見るであろう。
そして地上に未だ、シベリア、ブラジル、カナダ等のような広大な耕地が、未墾の地として存するのは、預言者の理想の実現を待つためであろう。
その時には社会問題はなく、人はみな自己に足りて、平和は、水が大洋を掩(おお)うように、全世界に漲(みなぎ)るであろう。
(12月11日)
(以下次回に続く)