全集第34巻P250〜
(日記No.199 1923年(大正12年) 63歳)
12月3日(月) 晴
上二番町(
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E7%95%AA%E7%94%BA_(%E5%8D%83%E4%BB%A3%E7%94%B0%E5%8C%BA) )に女子学院を訪問した。当方の講堂改築中にその講堂を借り受けるためであった。快く承諾してくれて有難かった。
地震火災に罹(かか)ったその付近の惨状を見て驚いた。柏木とは異なり、東京上流社会の居住地であるこの辺の破壊に、よそには見ることの出来ない凋落(ちょうらく)の状(さま)がある。東京の復興は容易な事でない。
12月4日(火) 晴
今井館聖書講堂の改築が始まった。またまた職人を相手にしなければならない。これで講堂の改築が三度目である。多分これが最後であるのであろう。「聴衆はなるべく少ない方が良い」という自分の主義が祟って、このように幾度も大工を入れなければならない。
今度は一度に400人を入れようとするのである。もしこれで一ぱいになれば、講演は止めるまでである。そして自分の精力もそうは続かない。いずれにしろ64歳を迎えようとして、聖書講堂の拡張は、先ずおめでたい事として良かろう。
12月5日(水) 晴
雑誌校正日であった。ノルウェー国の神学者ラース・ニールゼン・ダーレー著「死後の生命」を読み終わった。大学者であり、大信仰家であり、またかつてはマダガスカル島で働いた宣教師であったこの人のこの著は、私の心に訴えるところが強かった。
彼は彼の議論を聖書と実験の上に築くので、私のような者を助けること多大である。彼は来世観を、好奇心から出た思索の問題として説かない。彼自身に関わる最大問題として論じる。英米の神学者の中に、これほど真面目にこの問題を取り扱う者がある事を、私は知らない。
やはり大教師はヨーロッパ大陸に在る。宗教を主として社会問題として取り扱う米国の神学者などは、信仰の指南としては、一顧の価値もない者である。
12月6日(木) 雨
牛込神楽坂の藤本医学博士方で少数同志の懇話会が開かれ、私も出席した。聖書研究会員がさらに相互に接近して親密を厚くする必要がある事が提言され、一同はこれに賛成し、その目的を以て一つの会を設けることを議決した。
私はヨハネ伝13章5節により、これに「洗足会」という名を付することを申し出て、一同に採用された。洗足会(せんそくかい)とは
あしあらい会とも読むことが出来る。
人に同情してもらう会ではない。人に同情して、その足を洗おうと欲する会である。このような会は、幾つ起こっても妨げにならない。
出席者は一人残らず祈祷をして別れた。
12月7日(金) 雨
女子学院の三谷民子女史と共に、同学院前校長矢島楫子
( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E5%B6%8B%E6%A5%AB%E5%AD%90 )老女史を大久保の婦人ホームに訪問した。彼女は現代の日本における最大の女丈夫であると思う。92歳の高齢に達し、身を老病の床に横たえながら、なお社会人類の幸福を思う。
(参考 https://www.amazon.co.jp/%E7%9F%A2%E5%B6%8B%E6%A5%AB%E5%AD%90%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%B6%AF%E3%81%A8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%B5%81%E3%82%8C-%E7%86%8A%E6%97%A5%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%96%8E%E8%97%A4%E7%9C%81%E4%B8%89/dp/4877555005/ref=sr_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1544313972&sr=1-3&keywords=%E7%9F%A2%E5%B6%8B%E6%A5%AB%E5%AD%90 )(なお矢島楫子さんについては、三浦綾子さんも本を書いています。 https://www.amazon.co.jp/%E3%82%8F%E3%82%8C%E5%BC%B1%E3%81%91%E3%82%8C%E3%81%B0%E2%80%95%E7%9F%A2%E5%B6%8B%E6%A5%AB%E5%AD%90%E4%BC%9D-%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E9%A4%A8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%B8%89%E6%B5%A6-%E7%B6%BE%E5%AD%90/dp/4094021841/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1544313972&sr=1-1&keywords=%E7%9F%A2%E5%B6%8B%E6%A5%AB%E5%AD%90 )
殊に嬉しかったのは、彼女の信仰が鮮明な事であった。彼女の乞いにより、私は彼女のために祈った。要所に至ると、彼女は声高にアーメンと答えた。
私たちは三回握手を交わして別れた。多分これが、私がこの世において彼女に会う最後の機会であろう。今日は意義深い好い訪問をしたことを喜んだ。
12月8日日(土) 晴
聖書講堂改築の棟上(むねあげ)であった。わずかばかりのものを職人に贈って、彼等と喜びを共にした。彼等は何のための講堂であるかを知らない。ただ、儲けるための建築でない事だけを知る。彼等はまた、真実に対し無感覚でない。大体において愛すべき者たちである。
12月9日(日) 晴
今井館が改築中なので、上二番町女子学院講堂を借り受け、そこで聖日の例会を開いた。会衆400人余りが広々とした堂に満ち、誠に居心地の良い集会であった。
「キリスト再臨の希望」と題し、テサロニケ後書2章を講じた。場所柄、会員以外の近所の上流社会の人たちも少なからず、これらの人たちに対して現代文明を呪う言葉を述べるのは、少し気の毒に感じた。
午後は同じ講堂において女子学院同窓追悼会が開かれ、私もこれに出席して少し感想を述べた。朝から夕まで終日番町に居たということは、私の生涯において、今日まで未だかつて無かった事である。
12月10日(月) 雨
休息の月曜日である。ある人に勧められて、炬燵(こたつ)の中で「婦人公論」の12月号を読んだ。その中に私を嘲る論文が載っているとの故にである。筆者は千葉亀雄という人で、その中に次のような言葉があった。
……その天意の申し子である人々は誰か。首相山本、子爵渋沢、内村鑑三、その他等、等、等。が、天譴(てんけん)なんてものは、鬼にでも食われろ。そんなものは、形而上にも形而下にも、どこにも無いのである。
神は無いのである。もし有ると言うならば、それは人類によって作られた神に過ぎないのである。ただ自然には相(フェス)があるが、それとても意志も魂もないのである。もし有りとするならば、これもまた、人類が吹き込んだ主観の魂そのものの外ではない。云々
と。首相山本や子爵渋沢と並び称されるのは、名誉であるようで、実は迷惑である。私は未だ彼らほどもうろくしていないと思う。殊に天然の事について、この記者に教えられる必要は、私には無いと思う。
記者は「かの『種原論』の著者
フランシス・ダーウィン」の説を引いてその立場を弁明しているが、それはもちろんチャールスの間違いであった。チャールス・ダーウィンの種原論ならば私も青年時代に幾回も読んだから、その所説をよく解していると思う。
いずれにしろ休日には良い読物であった。これを読み終わって、暫時(ざんじ)快い午睡を貪った。このくらいの議論なら先ず私の立場は安全であると思った。
かつて大学の先生たちにひどく攻撃された時に、あるドイツ人が私を慰めてくれたことがある。「You will survive it. (君はその攻撃に耐えて生存するであろう)」と。多分今度もそうであろう。
12月11日(火) 曇
ロマ書12章15節にパウロは「
喜ぶ者と共に喜び、哀(かなし)む者と共に哀むべし」と教えているが、この日私も朝はある友人の娘の結婚の相談に与って、彼等と共に喜び、夕は、ある若い未亡人の訪問を受けて彼女と共に悲しんだ。
信じる者には万事万物尽(ことごと)く可であると知ってはいるが、喜びはやはり喜びであって、悲しみはやはり悲しみである。そして喜びと悲しみとを通して、私たちは父の家に入るために準備させられるのである。
この日また感じた事は、
貧しい者に同情するのは易しくて、富んでいる者に同情するのは難しい事であった。しかしながら、富んでいる者もまた、貧しい者と同じだけ同情を要するのである。
罪の世は、富んでいる者には何の悲痛もないと思い、これを孤独に陥らせて喜ぶ。しかしそうではない。富んでいる者もまた神の子である。私たちは彼等の友となって、彼等独特の悲痛を取除くように努めなければならない。
12月12日(水) 半晴
今日もまた主に在って喜んだ。キリストは我が義、我が事業、我が全てである。彼を我が有(もの)とすれば、私は他に何も要(い)らない。
実に私を苦しめるものは、
英米人の事業熱である。実に堪えられないものは、活動をその生命とする米国人のキリスト教である。ところがその勢力が盛んなので、私もまた知らず知らずの間に、米国宗に化せられるのである。
私はルーテルがローマ天主教を嫌ったのと同一の理由で、米国人のキリスト教を嫌う。
その根本の精神において、米教は福音の敵である。私は何であっても米教信者となることは出来ない。
12月13日(木) 雨
天気は未だ定まらず、不愉快な初冬である。エジンバラ発の福田藤楠からの書面に言う、
先生、さすがにノックスの地だけあって、ここぐらい日曜日を宗教日にする所は他にないようです。その日はご飯を食べさせる所さえ、みんな休んでしまう(商店は土曜日昼から休み)。それなのに、教会行きの人で町は賑(にぎ)わう。
ある教会の前では、1時間ぐらいも前から、戸があくのを待っている群衆が半丁も列を作っているのを見受けます。
と。スコットランドが強いのは、このためである。日本もこうなって欲しい。しかしながら、諸方面に大反対があるから、とてもそうはなるまい。しかし私たちの仲間だけは、こうなって欲しい。そしてややそうなりつつある。
(以下次回に続く)