全集第34巻P258〜
(日記No.201 1923年(大正12年) 63歳)
12月24日(月) 晴
麗らかなクリスマスの前日である。遠近の友人から見舞いを受けて楽しい。明治12年の冬、札幌において学友7人と共に初めてクリスマスを守ってからここに満45年である。
その内4人は既に世を去って、残っているのはやはり4人である。そして私一人が東京に在って福音を説いているのであると思えば、人として寂しからざるを得ない。
しかし独りであって独りでない。数千人の同志は全世界に散在して、同じ福音を信じて、信仰と希望を共にしている。
45年間に大きな変化があった。しかし私の信仰だけには変化が無かった事を神に感謝する。私の生涯からキリストとその福音とを取り去れば、私は生きる甲斐のない者であった。
そして信仰を維持することが出来て、「
此世のすべての物を損せしが、之を塵芥(あくた)の如く思ふ」(ピリピ書3章8節)というパウロの言葉を、我が言葉とすることの出来る幸福を神に感謝する。私の46回のクリスマスの中で、今年が最も良いものであると言ってよかろう。
◎ 報知新聞の押売りに遭って困らせられた。その運動員に、「寄附ならばするが、不要な新聞紙を取ることは出来ない」と言ったら、彼は怒って言った、「乞食ではない。
人格者である」と。
人格者が何故押売りをするのか私には解らないが、しかし彼等の仲間においてさえ人格が重んじられる事を知って喜んだ。
12月25日(火) 晴
クリスマスデーである。今年は8千余円に値する講堂を一つクリスマスプレゼントとして与えられて、感謝の至りである。これは私が私の生涯において受けた最大のプレゼントである。
これを用いて私の残余の生涯において、思う存分に福音を説くことが出来ると思って、感謝この上なしである。
講堂そのものが4500円、敷物と椅子とが1500円、オルガンが1000円(未着)、その他の設備が1000円である。そして今日までの任意的寄付金が5500円であって、これに研究会の剰余金を加えれば、誰にも依り頼むことなしに、全ての支払いに応じることが出来る。
実に幸いな、楽しいクリスマスである。自由に福音を説くのに優る快楽はない。教会、殊に外国伝来の教会から何の制裁をも受けることなしに、キリストの福音を我が国において説くことが出来る特権……こんな嬉しい楽しいことはない。
私がキリスト者として守ることの出来た第46回のクリスマスにおいてこんな大きなプレゼントを受け得ようとは、今日まで夢にも思わなかった。
12月26日(水) 晴
暖かい春のような日であった。誠に静かなクリスマス期節である。黙示録第5章を読み、新光明に接して嬉しかった。読むべき書は唯一つ、聖書である。新聞紙は読むに堪えない。聖書が面白くなる時に、新聞紙は詰まらなくなる。
そして新聞紙は常に詰まらなくあって欲しい。聖書の次は天然、その次は歴史、その他は読まなくても損失はさらにない。
クリスマスに菓子類を沢山もらった。自分はよほど甘党であると思われていると見える。喜ぶ者は私の他に、児童と青年たちである。自分の道楽は、引き続き暗黒大陸の地理歴史である。楽しい年の暮れである。
12月27日(木) 半晴
黙示録7章を読み、大きな慰安を与えられた。
彼等は大なる艱難(なやみ)を経て来れり。曾(かつ)て羔(こひつじ)の血にて其衣を滌(あら)ひ、之を白くせる者なり……彼等は重ねて飢(うえ)ず、重ねて渇かず、また日も熱も彼等を害(そこな)はざる也。
そは法座(くらい)の前に在る羔(こひつじ)彼等を養ひ、彼等を生命(いのち)の水の源に導き、又彼等の涙を其目より拭ひ給ふ可(べ)ければ也
と読んで、熱い涙が私の目からこぼれた。
◎ 京都在住当時からの知友有元新太郎君の訪問を受けた。君は45年前にキリスト教を去り、紀州高野山に入り、真言宗の僧侶となって、その蘊奥(うんのう)を探ろうとした人である。
しかし仏教にも満足せずに、今は関西某地で教育の任に当たられるということである。君から高野山腐敗の実況を聞いて驚いた。キリスト教会がいくら腐敗しても、それほどは腐敗しない。日本仏教の腐敗は、国家存亡にかかわる大問題である。これを聞いて、甚く我が心を痛めざるを得ない。
◎ この日恐ろしい事件が東京に起こった。これで今年は第三回である。第一が有島事件、第二が大震火災、第三が今日のこの事件(
http://todayssp.universal.jp/today/?p=4063 )である。日本国のために熱心に祈らざるを得ない。
12月28日(金) 半晴
昨日発生した大事件で、胸の轟(とどろき)が未だ止まない。黙示録の研究によって少しこれを鎮(しず)めることが出来た。
同志の者が6人、残余の慰問袋を自動車に積み、本所深川浅草と駆け巡ってこれを配布した。その喜ばしい報告を聞いて喜んだ。
世は暗雲で蓋(おお)われているが、イエスの聖名(みな)が唱えられる所にだけ本当の喜びがある。誠に「
讃美と栄光とは、羔(こひつじ)に帰して世々に窮(かぎ)りなからん事を」(5章13節)である。
12月29日(土) 曇
今や大不敬事件が発生して、今昔の感に堪えない。私も今から34年前に、日本全国民から不敬漢として取扱われた者である。
そして今や本当の不敬漢がキリスト信者の中からではなくて、普通の日本人の中から現れて、キリスト教は乱臣賊子の宗教であるという誤想は、ここに一掃されたのである。
誠に日本国を危うくする者は、決してキリスト教でない。30年前のいわゆる「忠君愛国者」等は、ここにその前非を悔いなければならない。
12月30日(日) 晴
近来稀に感じる強い寒気であった。朝寝起きに中野にいる神田乃武君を、彼の臨終の床に見舞った。
ただわずかばかりの慰安の言葉を述べる他に、彼ならびに彼の家族のために、何の善事をも為し得ないことを悲しんだ。
◎ 宮部ドクトルの訪問を受けて嬉しかった。47年間の同級同室同信の友である。人生に二人とは得られない、貴い友である。彼は札幌に踏み止まって、私たちの信仰の発祥の地を守り、私は東京に出て伝道に従事した。
明治10年のクリスマスの頃、私たちの若い心をキリストに捧げて以来、半百年になろうとする今日に至るまで、私たちの旧い信仰を維持し得て感謝の至りである。
私たちは明治14年に、共に札幌農学校を卒業した。私たちは福音を愛し、また科学(サイエンス)を愛した。科学においては、私はとうてい彼に及ばなかった。
しかし神は、彼の為し得ない事を、私に為さしめられた。私たちは共に老いて、過去を顧みて、感謝の涙に溢れざるを得ない。
近代人は、たちまち来て、たちまち去る。彼等は「新しい事」を為すのに大胆である。私たちは旧い日本人であって、旧いクリスチャンである。彼等がする事の多くは、私たちに解らない。しかし、私たちは私たちの道を守るであろう。
友あり遠方より来る、また楽しからずやと言うが、近代人が頼るに足りないことをますます強く感じる今日この頃、このような旧い友の訪問を受けて、何だか私の世界が再び賑(にぎ)やかになったように感じた。
12月31日(月) 晴
引続き寒気が強い。この世のいわゆる大晦日(おおみそか)である。債鬼は充分な支払いによって、悉(ことごと)くこれを撃退した。
講堂の改築が出来上がり、誠に私相応の建物である。薄暗い教会堂ではない。日光に溢れた聖書の講堂である。
この日焼失した岩波書店から、金百円の寄付を受けた。その他罹災の同志からの寄付は千円以上に達する。
信仰の世界に幸不幸はない。不幸は却て幸である。感謝をして旧年を送り、感謝を以て新年を迎える。感謝、感謝、何事も感謝である。グードバイ1923年!
(以下次回に続く)