全集第34巻P299〜
(日記No.211 1924年(大正13年) 64歳)
4月12日(金) 晴
庭の桜の真盛りである。
4月13日(日) 雨
庭の桜が雨に濡れ、梨花一枝春雨を帯ぶ
( https://imidas.jp/proverb/detail/X-02-C-42-2-0001.html )の風情である。
この日父宣之君の永眠第17回忌であった。朝から君の肖像を書斎に迎え、桜とボケの花の鮮やかなものと、山形県沼沢の奥山吉治君から送ってきたリンゴ満紅種のみごとなものを供えて、君に対する尊愛の情を表した。
◎ 集会は例日の通り、相変わらず講堂の狭さを嘆くのみであった。
4月14日(月) 曇
函館の時任為幸君から次のような愉快な書面が届いた。
……本年夏期中、室蘭錦多峰(にしたっぷ)の牧場において、熊狩を致したき考えに候。彼地付近はなお、樽前山の麓に連なり、熊の巣にこれあり。毎年夏期の被害少なからず候。
先生の御知合いにて、夏期中労働に服する傍ら、熊狩御希望の御方に何卒(なにとぞ)御援助に御出で下さるよう御勧め下されたく候。人数は何人にても多いほど宜しく候。云々。
樽前山麓の熊狩、聞くからに血が沸くように感じる。有志者は函館市湯の川通り時任牧場に申し込んで下さい。
4月15日(火) 半晴
雑司ヶ谷に父と娘の墓を見舞った。校正はいくら待っても来ない。ヴィクトリヤ学院の年報に北氷洋象牙島(
https://en.wikipedia.org/wiki/Ivory_Island )の記事を読み、非常に面白かった。
北氷洋の富源に驚くべきものがある。神はなお多くの隠れた宝庫を有しておられる。地球の将来になお満々とした希望がある。神と和らいで、私たち日本人もその恩恵に与ることが出来る。
4月16日(水) 雨
午後巣鴨小平宅で、モアブ婦人会の月並会が開かれ、私は主婦に代って出席した。一同と共にルカ伝12章を研究し、清く有益な会合であった。純信仰的集会であって、他人の批評や衣類の品評などは一言半句も出なかった。開始以来12年に達し、常に変わらない柏木相応の婦人会である。
4月17日(木) 半晴
四谷鮫ケ橋の貧民街に野口幽香女子が経営されている二葉幼稚園を参観した。そこに主の御栄が豊かに揚がるのを見て喜んだ。主は隠れた所にその忠実な僕婢を用いて、その聖業(みしごと)を運ばれつつある。感謝に堪えない。
◎ 夜今井館において、洗足会の懇談会が開かれた。来会者25名。
4月18日(金) 曇
二三日来の働きによって、精神的疲労を感じた。何事をするにも、「キリストの苦難(くるしみ)の足らざるを補ふ」必要を感じた。苦しむことその事が一つの大きな事業であることを改めて覚った。「彼と共に苦しみ、兎にも角にも死せる者の甦(よみがえ)りを得ん事を」というパウロの言葉が心の深い所に響いた。
4月19日(土) 晴
旧き教友の一人である鈴木錠之助君が、今暁(こんぎょう)突然心臓麻痺で永眠したと聞いて、非常に驚きかつ悲しんだ。君は信頼すべき人、恒(つね)に変わらないキリスト者、忠実な友、尊敬すべき紳士であった。彼の死は、柏木教友団にとって償い難い損失である。
4月20日(日) 晴
復活祭である。麗しい白百合が咲き香る春の日である。集会は相変わらず満員で、空き椅子は一脚もない状態である。「三分性と復活」と題して、ロマ書8章10、11節を講じた。
◎ 在米読者の寄贈にかかる大オルガンが漸く届いた。実に立派な物である。イーオリアン・グランド型であって、我が講堂の備付けには最も適当な者である。大ピアノ以上の楽器である。門内から高壇の側(そば)にまで運ぶのに四人係りで3時間を費やした。
カリフォルニア州ロサンゼルスを発してから7千海里、無事に柏木聖書講堂に達し、私たちの讃美を助けるに至って、感謝限りなしである。
4月21日(月) 晴
引続き歯を病んだ。しかし肉体は健全である。
4月22日(火) 晴
百花爛漫の春の日である。中野打越(うちこし)で鈴木錠之助君の葬儀が挙げられ、これに臨んで彼を葬る言葉を述べた。彼と同町の有志は言う、「鈴木さんが死んで中野町は闇である」と。以て彼の感化力が推し量られる。
4月23日(火) 晴
排日問題で考えさせられた。これは米国のためには憂慮すべき事であって、日本のためには却て善い事であると思う。全てが神の栄光の現れるための人事である。物窮すれば必ず通ずである。日本も行き詰まって
神に帰して、そして後にその運命が開くのであると信じる。
神は今や日本を、そして日本を通して東亜全体を、御自身に取り戻そうとして、窮境に追い込めつつあり給うのであると信じる。
心配の内の大希望である。
我が同胞を見れば同胞が厭になることがあるが、神を見れば、厭だと思う同胞が愛らしくなる。
神に導いていただいて日本も支那も朝鮮も、少しも失望ではない。
ユダヤ人も英国人も、民としては少しも偉大な民ではなかった。しかしながら、彼等の間に多くの神を仰ぐ者が起こったので、偉大な民と成ったのである。神の栄が現れるためには、民の堕落は少しも妨げとならない。
その反対に、人が悪いことは、神の聖(きよ)さを現わすための良い機会となる。こう考えて今日は久方ぶりに元気を回復した。
旧約のモーセが思い出された。また自分の弱さを嘆くのは無用であることが分かった。自分自分と唱えて自分の臍(ほぞ)を見つめることが、最も悪いことである。やはり貴いのは、ロマ書やガラテヤ書に現れた使徒パウロの信仰である。
4月24日(木) 晴
百日ぶりに東京に行った。相変わらず塵埃(じんあい)の街(ちまた)である。この日対米為替相場は40ドル以下に下落し、国家経済の上から見て、甚だ心細い次第である。「
我等の国は天に在り。我等は救主即ちイエス・キリストの其処より来るを待つ」である(ピリピ書3章20節)。
4月25日(金) 曇
今の日本に教育らしい教育は少しも行われていないように見える。高等学校、大学の教育など、わずかに専門家を作るに止まって、品性を作る教育などほとんど皆無と称して良かろうと思う。実に嘆かわしい事である。
4月26日(土) 晴
歯を抜かれて却て痛快を感じた。悪い者は、自分の肉であっても、これを切断して棄てるべきである。コリント前書5章7節における「
旧きパン酵(だね)を除きて、新しき団塊(かたまり)となるべし」というパウロの言葉を思い出した。
4月27日(日) 晴
麗しの安息日であった。口中治療中につき、わずか40分ばかり話した。イザヤ書59章1、2節により、「行詰りと神の御指導」について語った。
この日あるわがまま娘に懲戒を加えることを余儀なくされ、非常に辛かった。
駄々っ子とわがまま娘。我が国の現状に堪え難いものがある。
(以下次回に続く)