全集第34巻P423〜
(日記No.242 1925年(大正14年) 65歳)
3月29日(土) 雨
集会変りなし。朝は「第一の誡(いましめ)」と題し、マタイ伝22章34〜40節ならびにマルコ伝12章28〜34節を講じた。「神は一なり」という深い真理について少し述べた。キリスト教の全てが、この一句の中に在ると言う事が出来る。
夜は青年相手に人生の実際問題について語った。相変わらず楽しく有益な一日であった。
3月30日(月) 半晴
ベンジャミン・A・ミラード著「組合主義」(
https://www.amazon.co.jp/Congregationalism-Benjamin-Millard/dp/B012BZDGOS/ref=sr_1_2?s=english-books&ie=UTF8&qid=1549238113&sr=1-2&keywords=benjamin+millard )を読んだ。誠に有益な書である。組合教会の教師方には、どなたにも読んでもらいたい。
わずかに123頁の小著述である。
組合教会の起源が全く無教会主義であったことが分かる。その初めの200年間に、今日でいう組合教会という制度は無かったと言う。「
二人三人我が名に由て集まる所に、我れ其内に在り」というキリストの御言葉が組合主義が拠(よ)って立つ根本真理であると言う。
もしそうならば、私も組合主義者である。しかし今の組合教会は昔のそれとは全く異なる。今や組合主義は全く教会化されて、監督主義の日基教会と何の変りもなくなった。
オリバー・クロムウェルが最大の組合主義者であると聞いて、その主義が懐かしくなる。けれども米国においても、日本においても、組合教会は勇敢な自由独立の唱道者でない。その信仰は低落し、昔の姿はまるでない。実に悲しい事である。
日本の組合教会にジョン・ミルトンが起ることを祈る。その時には私たちも組合主義者として起つであろう。その時までは無教会主義者として存し、独立主義者(インディペンダント)として、クロムウェル、ミルトンの主義を守るであろう。
いずれにしろ英国の組合教会の方が米国のそれよりも遥かに清く、遥かに純正であるように見える。
3月31日(火) 晴
甥(おい)の八郎と共に伊豆熱海まで日帰り旅行を試みた。震災後初めての湘南旅行である。心行くばかりに春の海の静けさを楽しんだ。根府川(参考:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E5%BA%9C%E5%B7%9D%E9%A7%85 )付近の荒廃の跡を見て、震災当時の恐ろしさを想像せざるを得なかった。
熱海は明治16年に故津田仙君と同道して以来、ただ一回伊豆の伊東から帰る途中通過しただけで、今日まで未だ行ったことのない所である。まことに天然の楽園である。しかし道徳的には地獄であると聞いた。事実であろう。汽車が開通してますます悪化することであろう。
この国においては、天然に恵まれる所は、たいていは人に汚される所である。そのような所に長居する必要もなく、午後5時45分発の汽車で、夜10時に柏木に帰った。春の日の好い休日であった。
4月1日(水) 曇
昨日遊んだので、今日は二日分の仕事をするため多忙であった。この日またある教会信者が、その一身上の問題を持込んで来て、非常に不愉快であった。
教会の人たちの訪問であれば、自分のためと決まっている。彼等が人類のために、または真理のために相談に来たことは、未だかつて一回もないと言い得る。自己の一身上のためか、そうでなければ自己の教会のためである。
たまにはしなくても良い他人の世話を焼きに来る。実に図々しい人たちである。何故に寛大になって私を助けるために来ないのであるか。私に自分たちを助けさせて、少しも私を助けようとしない。時には公然と私を排斥して、少しも意に留めないらしい。
それでキリストの僕であると言い得るか。私は教会の人たちを憎みはしないが、彼等がもう少しクリスチャンらしく、ゼントルマンらしくあって欲しい。ただ頼む時にだけ私を利用して、その他は我関せずという彼等の態度を、私は甚だ野卑(ミーン)であると言わざるを得ない。
4月2日(木) 曇
虚偽に充ちる現代の人は言う、「有りそうで無い物は金である。無さそうで有る物は借金である」と。そして大家大臣と称する者までが、この憐れむべき状態に在ると聞いて痛歎に堪えない。
何も富裕に誇る必要はないけれども、人は神を信じ正直に働いて借金に苦しむ必要は無いはずである(ごく稀な場合を除いて)。
申命記15章5節以下に言う、「
汝もし謹みて汝の神エホバの言に聴き順(したが)ひ、我が命ずる所の誡命(いましめ)を守り行(おこな)ふに於ては、汝の神エホバ汝を恵み給ふべければ、汝は多くの国人に貸すことを得べし。然れど借ることあらじ 」と。
そしてユダヤ人全体が、この恵まれた立場に在ることは、人がよく知っている事である。富はだいたいにおいて、誠実の結果である。誠実で、勤勉であって、飾らず、虚栄を追わなければ、たとえ日本のような貧国に在っても、借りることなく生活し得るはずである。
借りながら外を飾って喜ぶ今の日本人に、亡国の相が備わっているとしか思われない。
4月3日(金) 晴
暖かい春の日である。悩む人が何と多いことか。悩む青年、悩む妻、慰められたいと言って訪れて来る者が引きも切らない。しかし彼等はただ苦痛を除かれたいと思うので、救うことは出来ない。
神に罪を赦していただきたいと言うのでなければ、私の福音によって彼等を助けることは出来ない。ああ、この民をどうすれば良いのだろうか。内務省も文部省もこの民を救うことが出来ない。
そして文士と新聞紙と雑誌とが、ますます彼等を悪化しつつある。末の世が臨んだのである。主の再来が待たれる。
4月4日(土) 雨
久し振りに田村直臣君を訪問した。相変わらずキリスト教界の内情について沢山に聞かせられた。教会の事に就てはほとんど知らぬが仏の自分には、全てが意外であった。
無教会信者という理由で、キリスト教連盟にも加わらず、教会とは何の関係もない自分は、決して不幸な者でないことを、つくづく感じた。
4月5日(日) 雪
雪と学校休みとが祟(たた)ってか、会衆はいつもより少なく、朝夕合わせて220人余りであった。これに引きかえて、札幌、仙台、長崎等からの来客があり、家はイツモになく賑(にぎ)わった。
朝はマタイ伝22章41節以下により「ダビデの主」について、夜は「道理の無効」について述べた。帝大教授矢内原法学士が夜の講演を手伝ってくれて、一同は大いに力づけられた。
4月6日(月) 晴
ガッカリ疲れた。霊魂が空(から)に成って、自分は不信者に成ったのではあるまいかと思った。精神的疲労とはこんな者である。このような時に用心しないと、悪魔に乗じられる。鳥類学の歴史などを読んで、鬱(うつ)を散じようとした。聖書に次いで良い物は、やはり天然研究である。
4月7日(火) 晴
内村医学士が渡欧に際し、前代に対し敬礼を表するために、雑司ヶ谷に彼の墓を訪れた。今から42年前に、私が渡米の途に就いた時に、前代即ち私の父が私に命じて為させた事を、私たち父子は、今日為したのである。
これは偶像または祖先崇拝ではない。天然の至情である。海外に在って国を思う事をますます切にするための、適当な行為である。私たちは誰でも The land where our fathers died (私の父祖が死んだ国)のために尽さなければならない。
ハンニバルの父がその子に自国カルタゴに対する忠誠を誓わせた心を以て、私は今日私の一子に、私の父で彼の祖父である人の墓の前に、日本国に対する忠誠を誓わせたのである。
4月8日(水) 半晴
アルベルト・シュヴァイツアーの中間道徳(Interimsethik)について考えた。
中間道徳とは、山上の垂訓を文字通りに守ることである。今からキリスト再臨の時までの道徳としてこれを守ることである。「時は近し」と信じて、この暗黒の世に処する事である。
絶対的無抵抗主義は、そのような世に処する途(みち)としてのみ合理的また有効的である。そして今はキリストの敵の世なので、これに処する途は、無抵抗を除いて他にないのである。
「
悪に抗する勿(なか)れ」。この世の人たちの乱暴で無慈悲な要求には、呟(つぶや)かずに尽(ことごと)くこれに応じよ。何故なら審判の時は近いからであると言うのである。
(以下次回に続く)