全集第34巻P500〜
(日記No.261 1925年(大正14年) 65歳)
11月1日(日) 雨
両回の集会に変りなし。朝は「大悲劇の序幕」と題して、マタイ伝26章1〜5節を講じ、午後は「修養」とは何であるかについて述べた。一同は元気旺盛で、天下に敵なしの気概があった。この日東京市内鉄道が貫通し、心からの祝意を表した。
(参考:東京都電車: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E9%9B%BB%E8%BB%8A )
11月2日(月) 雨
泥濘を冒(おか)してバビロンの東京市に行った。一人の大先生を伴って帰って来た。それは、新刊のゲデス、トムソン両先生の著「生物学」であった。量においては小著述であるが、質においては大著述である。
大先生でなければ書けない書である。その第1章が既に大論文であって、また大説教である。西洋にはこのような大科学者がいると思うと羨ましい。生物学において、大宇宙解釈のためのカギを探ろうとする試みである。多分最も正確な解釈法であろう。
嫌味(いやみ)多い神学よりも遥かに健全である。もし世の宗教家が、たびたびこのような書によってその脳と心とを潔(きよ)めるならば、それは彼ら自身の幸福にとどまらないと思う。
11月3日(火) 晴
引続き、終日ゲデス、トムソンの両教授に、生物学について教えられた。50年前の昔に帰り、学生に成った心地がする。鳥類学、魚類学、昆虫学等、いずれも非常に面白い。リンネー、キュビエー、オーエン等の名が、何と懐かしいことか。
彼等は真理闡明(せんめい)に熱心であって、カルビンやゴマラスのように、教敵を焼き殺さなかった。天然へ行け、教会と神学とに行ってはいけない。
詩人ホイットマンは、「蛙は神が好まれる食物である」と言ったが、実に蛙を研究しただけで、大神学系統を学んだ以上の光明に接する。時には「聖書之研究」を変えて、「天然之研究」と成したくなる。
11月4日(水) 晴
校正刷りを待っていたが来ないので、その間に引続き生物学を読んだ。近代におけるその著しい進歩に驚いた。宗教と道徳とは旧いものを尊ぶが、天然科学は新しいものが良い。殊に細胞学の功績を称賛する。生命の秘密は細胞の中にある。しかしなお、生命の本源を突き止めた学者はいない。
11月5日(木) 晴
雑誌の校正を終ったので、全日を秋の旅行に費やした。埼玉県秩父郷に行った。東京から熊谷を経て、汽車と電車とで4時間で着く。思っていたよりも遥かに良い所である。
荒川上流の盆地であって、土地は肥沃で、物産は豊で、民は勤勉で、伝道地として持って来いの場所である。全生涯をこのような山間の郷里に費やしたならば、必ず効果が挙がると思う。
帰途長瀞(ながとろ)に下車し、その名勝を探り、夜に入って柏木に帰った、私には風景よりも人民と物産が面白い。一日の有益な見学旅行であった。
11月6日(金) 晴
寒くなった。昨日の遠足で少し疲れた。聖書はエゼキエル書の第21章を研究した。来客としては日本基督教会の牧師一人と、北海道から来た老婦人一人とに接した。私のような者は、この世の事に口を出せば、損失を招くに決まっていることを切実に感じる。
天国を望み、純真理を究めるより他に、私が為し得る事はない。近代人は尽(ことごと)く自分の敵だと見て間違いがない。宗良親王
( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E8%89%AF%E8%A6%AA%E7%8E%8B )の歌がたびたび唇に上る。
諏訪のうみや氷を渡る人の世も、
神し守らば危(あやう)からめや。
その危ういことにおいては、明治大正の日本の社会は、建武延元のそれに異ならない。いや実にそれ以上である。けれども神が守って下さるので、我が身は安全である。
11月7日(土) 晴
秋の桜である山茶花(さざんか)が咲き、読書・執筆に最も適した時節である。昨日から原稿16枚書いた。若い時のようには書けないが、しかし書くべき材料が尽きないことを感謝する。悪い事は来ないでほしいが、最悪は来ない。重荷はすべて神に分担していただくので、担うのが容易である。
◎ キリスト教会ならびに他のキリスト教団体は、依然として私たち無教会信者を不信者扱いにしつつある。私たちはもちろん、彼等に信者扱いにしてもらいたくない。
ただ怪訝(けげん)に堪えないのは、彼等が私たち無教会信者の援助を求めることに少しも遠慮しない事である。彼等は必要とあれば、臆面もなく私たちから寄付金を仰ぐ。そして受けるや否や、蔭に回って、私たちの悪口を言う。
彼等は私たちを誹りつつある間に、必要な場合には私たちのある者をその高壇に立たせて、その運動を助けさせる。彼等がもし私たちを不信者視するならば、何故に私たちと関係を絶たないのか。
私たちから見れば、彼等は日本人らしくない。堕落した近代の米国人に倣う者であって、信義を知らず、誠実をも弁えない者である。私たちは彼等が少し日本人らしく行うことを望む。
11月8日(日) 晴
集会は変りない。朝は「目の向け方」と題して説教し、午後はエレミヤ記第1章11節以下を講じた。聴衆に預言書を解らせようと思って、ずいぶん骨が折れた。先ず以て相変わらず幸いな楽しい聖日であった。
11月9日(月) 晴
朝から夜まで有益に費やした。組合教会のある有力な教師が、私の教友の一人に語ったということを聞くと、「内村という人は再臨問題とか対米問題とかいう人気問題をとらえて騒ぎ立てる際物師(きわものし)である」と。
あるいはそうかも知らない。けれども私が我が国のキリスト教会の教師たちについて解し得ない事は、彼等が排日法によって、日本が米国に辱められたことについて、別に憤慨しないことである。
これは私だけでなく、私が知る誠実な米国人が不思議に思う所である。彼等の内の一人などは(彼は日本在留の宣教師である)、私に告げて言った、「何故日本人は、この事について怒らないのであるか。もし西郷や大久保が生きていたならば、日本は米国に対し、直ちに国交を断絶し、戦争を辞さないであろう」と。
ロシアやドイツに対し、国民と共に憤慨を表したこれらの教師たちは、米国に対しては至って平静である。殊に注意すべきは、彼等が非常に「日本的キリスト教」という言葉を嫌うことである。彼等はしきりにキリスト教は世界的であって、日本的であってはならないと言う。
ところが彼等の教師であり支援者である欧米のキリスト信者等は、非常に国家的であり、愛国的である。彼等は英国的キリスト教、または米国的キリスト教を唱えて誇りとする。多分全世界のキリスト信者の中に、日本のキリスト教会の教師たちほど「広い」キリスト信者はいないであろう。
私が際物師であるか否かは別問題として、私の注文としては、私は日本のキリスト教の教師たちが、いま少し日本を愛し、その名誉のために計ってもらいたいのである。
11月10日(火) 晴
雑誌11月号を発送した。多くの訪問者があった。彼等によって、家に在って外界の多くの事を知らされる。結構である。
11月11日(水) 雨
終日原稿書きに従事した。訪問客は少女が一人いただけである。ペンを執って働く時にのみ罪を犯さず、最も幸福である。
11月12日(木) 半晴
少しだけ私用を済ませた他には何もしなかった。西洋の歴史を読んで強く感じるのは、国と国との間に信義が欠けている事である。西洋人の国家的関係は、利益の一事によって支配される。その点において、西洋諸国の政府は、純然たる商館である。
そしてこの忌むべき精神が、キリスト教会にまで波及し、そのいわゆる勢力範囲を争うに当たっては、教会は政府とその取る途を共にする。
西洋人の教会に在っては、信仰は有っても信義はない。彼等は他の教会を倒そうと思い、またそれが倒れるのを見て喜ぶ。教会の事においては、彼等は純然たる帝国主義者である。そしてこの忌むべき精神が、彼等が送った宣教師によって、我が国にも植え付けられたのである。
信義欠乏の点においては、日本のキリスト教界は、不信者社会よりも悪い。善良な日本人がキリスト教を嫌うのは無理でない。私が知る日本人で、キリスト教会に入ってから、彼等が不信者であった時よりも遥かに悪い人に成った者が幾人もいる。西洋のキリスト教会は、異邦に伝道して、数多の地獄の子供を作りつつあると思う。
(以下次回に続く)