全集第35巻P3〜
(日記No.266 1926年(大正15年・昭和元年) 66歳)
1月1日(金) 晴
小さな新人が我が家に臨んだので、至って賑やかな新年である。一同は祈祷を以て、食饌(しょくせん
:膳 (ぜん) に取りそろえた食べ物)に就いた。大いに為そうと思う聖欲を以て第66回の新年を迎えられた事を感謝する。
ゼカリヤ書第9章を以て今年の読書を始めた。
シオンの女(むすめ)よ大に喜べ、
エルサレムの女よ呼はれ、
彼は義(ただ)しくして救拯(すくい)を施し、
柔和にして驢馬(ろば)に乗る。
我れエフライムより戎車(いくさぐるま)を絶ち、
エルサレムより軍馬を絶たん。
彼れ万国の民に平和を宣(せん)せん。
其政治は海より海に及び、
河より地の極(はて)に及ぶべし。
再臨のキリストを歌った歌であり、新年を迎えるのに適当な言葉である。
◎ 夜7時20分、千葉県の海保竹松君と共に岡山県津山に向い、東京駅を発した。4年ぶりの関西旅行である。
1月2日(土) 晴
朝9時半に神戸に着いた。一ノ谷の神田君夫婦の出迎えを受けた。少憩の後、下関行列車に乗り換え、1時に岡山着、ここでもまた友人の出迎えを受けた。中国鉄道に乗り換え、午後4時過ぎに15年ぶりで三たび津山の地を踏んだ。土地の旧友森本慶三君の客となった。
1月3日(日) 雪
地は高く、山陰道に隣し、風雪が時々襲来し、寒気が強い。午後2時、森本君の建設にかかる津山キリスト教図書館の開館式が行われた。参会者200人余り、かの地には珍しい盛会であった。
私も一場の演説を試みた。これはキリスト教図書館であるが、キリスト教なので全般的である。基礎的知識の供給を目的とするが、もし指導が宜しければ、その発展は無限であることを述べた。
地方には稀に見る広壮な建築物である。森本君がこのために投資した金額は12万円余りである。我が同志の一人がここにこの信仰の果(み)を結ぶに至ったことを目撃して感謝に堪えなかった。わざわざ遠路を来る価値が充分にあった。海保君は関東教友を代表して同行したのである。
1月4日(月) 晴
朝8時津山を発し、途中誕生寺駅に下車し、法然上人誕生の地を訪問し、我が国の福音的宗教の開祖である僧源空
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E7%84%B6)に対して尊敬を表した。
住職漆間徳定
( https://kotobank.jp/word/%E6%BC%86%E9%96%93%E5%BE%B3%E5%AE%9A-1058484 )の優遇を受けて有難かった。12時岡山着、午後は公園ならびに旧城を遊覧し、夜は同志と信仰を語り、土屋修治君の客となって、安らかな一夜を過ごした。
1月5日(火) 小雨
朝9時半岡山発、午後1時明石着、再び一日の完全な休息を与えられて感謝であった。
1月6日(水) 晴
朝8時一ノ谷を辞し、11時京都に到り、旧友中村弥左衛門君の墓を見舞った。また薬師寺山に登り、新島襄氏ならびに我が家の主婦の兄である岡田寛の墓碑に対し尊敬を表した。
1月7日(木) 晴
朝9時東京駅に着いた。家に帰れば赤ん坊は満面の笑みを以て迎えてくれた。数百通の年賀郵便が待っていた。その中で、茨城県稲敷郡高田村根本益次郎君の年賀が最も有難かった。いわく、「
当村最貧窮者7名に先生の名を以て、メリヤスのシャツ1枚宛て施捨致し候間、悪しからず御了承下さい」と。
疲労が一時に発して、床に就いて休んだ。
1月8日(金) 晴
終日疲労の駆逐に努力した。久し振りに聖書を精読した。エレミヤ記第29章に霊魂安息の糧を得た。
数年ぶりに関西を訪れて感じた事は、第一に文明が関東よりも遥かに進んでいる事である。第二に信者の信仰が全体に冷えている事である。純信仰は滅多に見当たらず、信者は相互の欠点を指摘し、人格の向上・品性の完全を以て信仰唯一の標準と見ているらしい。
いわく「彼の人格に怪しむべき点あり。かつがれないように注意せられよ」と。またいわく、「彼女の行為に擯斥(ひんせき)すべき点多し、交際を避けられよ」と。
いずれも旧来の外国宣教師流のキリスト教であって、これでは信仰の復興は甚だ覚束(おぼつか)ないと見て取った。私は会う人ごとに、自他の腹の中を探ることを止めて、十字架上のキリストを仰瞻(あおぎみ)て、彼に潔(きよ)めていただく事を勧めた。
我が教え子の一人からの年賀の言葉に次の一首があった。
足らざるは十字架故に赦しあひ
愛に溢るゝ柏木の子ら。
全ての信者がそうあって欲しい。生命に溢れる時に、他を非難する暇(ひま)がない。
1月9日(土) 晴
雑誌1月号を発送した。久し振りに筆も執れ、読書も出来た。
恐ろしいのは伝道旅行である。1回の旅行に少なくとも1週間は潰(つぶ)れる。一地方が得るためには、自分と全国とが失うのである。今年は1月早々10日間が潰れた。止むを得ないとは言うものの、考えれば悲しくなる。
まだ後始末に数日かかる。この日女高師生徒の第2回感話会を開いた。第1回に数等優る会合であった。
1月10日(日) 晴
本年第1回の会合を開いた。朝は満員、午後は七分の会衆であった。朝はマタイ伝26章47〜56節、ヨハネ伝18章1〜11節に依り、「イエスの逮捕」について述べた。暗いユダと光るイエスを対照して語った。
午後は英訳聖書の元祖ウィリアム・ティンデール
( https://en.wikipedia.org/wiki/William_Tyndale )の生涯について語った。
(参考: https://www.amazon.co.jp/William-Tyndale-Biography-David-Daniell/dp/0300068808/ref=sr_1_1?s=english-books&ie=UTF8&qid=1552274597&sr=1-1&keywords=william+tyndale )
自分の講堂において述べることが如何に容易であるかを覚えた。他の教会と比べてみて、我が会衆が如何に良く訓練されているかを実感せざるを得ない。
この日また、在ドイツの若き内村から愉快な通信があった。国の内外に信仰の友が多い事を知り、この世界における私の肩幅が広いことを感じた。
1月11日(月) 晴
外国へ手紙を書いた。また久し振りに英文の論文を書いた。まだ英文を書くことを忘れていないことが分かって嬉しかった。近頃に至り私を了解してくれる者が、日本人よりも外国人に多いことを知り、自分のためを計るならば、日本文を書くことを廃(や)めて、英文を書く方が優っていることに気付いた。
しかし自分の為でないから仕方がない。嫌われ誤解され賎しめられると知りながら、下手な日本文を書くのである。
1月12日(火) 曇
ルツ子デーである。独りで墓地へ行き、花を供え、彼女の墓石に手を置いて、彼女の霊魂の安全のために祈った。熊本においてはリッデル嬢
(参考: https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/hansen/keifuen/hansen.html https://en.wikipedia.org/wiki/Hannah_Riddell )が彼女を紀念してライ病患者に一日の糧を供えてくれるはずである。
彼女が逝ってここに14年、私は健全で、主の名によって大事業を計画することが出来て感謝である。生者は死者の分をも尽くさなければならない。私はまだまだ沢山に働かなければならないことを自覚する。
夜、札幌の宮部君の見舞いを受けた。久し振りの面会である。半年会わなければ話が積んで山をなす。明治8年以来の人生の同伴者である。そうあるのが当然である。
(以下次回に続く)